本名をさらしたくないスプラとマリカ大好きかのたんさんの「戦国武将最強ランキング」
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1位伊達政宗
官兵衛築城上手すぎ!策略のレベルが桁違い!
8回も築城をしてそれぞれの城にこだわりを持って作った凄すぎる人。軍師で、作戦を立てるのも見抜くのも上手い。特に長宗我部氏との戦いでは長宗我部氏の作戦を見抜いて阿波国に先回りしてボコボコにしたのは凄すぎる戦国きっての最強軍師!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
3位徳川家康
すごーい
人質になって織田信秀(銭1000貫で売り渡した戸田康光)や今川義元に振り回されてまともな生活はあんまりできていなくて、父も暗殺されて僕だったらメンタルから崩れていた。やっぱりそこから知恵を使って江戸幕府を開けたのもすごい!
3位片倉小十郎
4位織田信長
6位藤堂高虎
7位真田昌幸
真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。他にもお初という織田信長の使いに入った真田の子という説もある
8位大谷吉継
石田三成との絆が生んだ信頼
関ヶ原の戦いで東軍ではなく西軍に石田三成に誘われて参加した。そこで一緒に歩むということを決められるのはお互いの絆と信頼のみ!らい病を患い口をつけたお椀の中には飲んだもののほかに膿が浮いていて、他の武将は口をつけたふりをしていたが石田三成は気にせず飲み干したのは名エピソード。
9位豊臣秀長
11位武田信玄
13位豊臣秀吉
終わってる
そもそも活躍できたのは軍師がいてからこそだと思う。黒田官兵衛、竹中半兵衛のおかげで作戦を立てて勝てたと思う。さらに愚行はあれやばい。秀次や家族、関わった人全員皆殺し。ちょっとおかしいと思う。子供ですら打ち首?子供や大人の人生を台無しにして今どんな気持ちなんだろう。前半生の頑張りはすごいと思ったけど偉人としてはあんま認めたくさいかな。人生、命をもっと尊く扱って欲しかった。そしたら点数90はあげられた。
宮城県民の誇り
僕は宮城県民ですが、小さい頃から知っていました(今もまだ小さいけど(11歳))。政令指定都市になっているのも、この時代に基礎を築いてくれたからだとおもう。