織田信長の詳細情報
生没年 | 1534年〜1582年 |
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織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。(引用元: Wikipedia)
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家臣がいないと何もできない
浅井・朝倉軍と戦って信長が敗走した時に有力家臣が敵を食い止めてくれたから信長の命は助かった。しかし、もし、上杉謙信のように特別優れた家臣がいなかったら信長の首は浅井氏が滅びるまでに討ち取られていただろう。
また、天下統一ができなかったのは、謀反が多かったからとも言える
ゲストさんの評価
信長自身は超弱い
信長は明智・丹波・柴田などの有力家臣や徳川家康がいなければ信長は室町幕府を滅ぼす前に討ちとられていた可能性が高い。
なぜなら、金ヶ崎の戦いで浅井・朝倉軍から敗走するときに明智光秀などがいないと京に戻られなかった。
また、家康がいないと姉川の戦いで浅井軍に完敗していたから。
ゲストさんの評価
優れた家臣がいないと超弱い
信長は金ヶ崎の戦いの時に明智などがいなければ京に戻れず、打ち取られていた可能性が高い。姉川の戦いの時は自分の半分ぐらいの兵しかいない浅井軍に負けていた。家康がいないと完敗したいた。
あとは気性荒れすぎで裏切り者が多い。それに裏切り者の城を兵糧攻めにして補給路を絶っているいる時に新たな裏切り者が出て新たな補給路が作られるなんてちょっと恥ずかしいデスヨネ。
ゲスト1さんの評価
有力家臣がいないとどんなことになっていただろう
姉川の戦いの時は家康がいないと浅井軍に完敗していたし、金ヶ崎の戦いだって浅井長政との同盟の約束を破るなどの自爆行為をさせた。
さらには裏切り者多すぎだし裏切り者の城を兵糧攻めにしている時に新たな裏切り者から新しい補給路をつくられちゃった。相当ダサい。
ゲスト1さんの評価
有力家臣がいないと超弱い
信長は黒田・徳川・柴田・丹波・明智などの有力・有能な家臣や同盟者などがいないと姉川の戦い・金ヶ崎の戦いの辺りで打ち取られていただろう。
姉川の時は徳川がいないと浅井に完敗していた。(信長が戦死するかもしれない)
あと裏切り者の城を兵糧攻めにしている時に新たな裏切り者から新たに補給路を作られるなんて恥ずかしすぎですよね。
ゲスト 1さんの評価
優秀家臣なしで生き残れるか?
超優秀家臣がいなかった時の信長は果たして生き残れただろうか。
金ヶ崎の戦いでは浅井が裏切るようなことをして挟み撃ちにされて敗走。
姉川の戦いでは兵の少ない浅井軍に圧倒され続け本陣にまで迫っていた。
和歌川の戦いでは自分の兵の50分の1の雑賀衆にボロ負けた。
ゲスト1さんの評価
有力家臣がいないとてんかなど夢の夢の夢の夢の夢
金ヶ崎の戦いの時は浅井が裏切るようなことをして最終的に敗走した。
そのときは明智などが敵を食い止めなかったら信長は打ち取られていた。
姉川の戦いの時は徳川が駆けつける前は兵の少ない浅井軍に圧倒され続け、追い詰められていた。
あとは家臣が裏切るようなことをしすぎ。とにかく裏切りが多く、それで天下を取れなかったとも言える。
ゲスト1さんの評価
戦国一過大評価されていて、弱すぎる人
コメントを見ていると信長が強いと言っている方がほとんどですが、
優秀な家臣がたくさんいて、人数も多いから力を合わせることで天下とりそうだったというだけで、信長に評価するのは違うと思います。
信長自身は朝倉・浅井にやられていて、敗走する姿や負けまくっている姿は多いです。明智・柴田・丹波・黒田・徳川がいないと直ぐに滅びてしまうのが信長です。
ゲストさんの評価
超優秀家臣がいないと生き残れない人
金ヶ崎の戦いでは自分で無茶なことをして自分は敗走。
姉川の戦いでは兵の少ない浅井長政に圧倒されて本陣にまで迫られていた。
和歌川の戦いでは自分の50分の1の兵しかいない雑賀衆にボロ負けした。
いずれも優秀家臣や同盟相手の手助けがないと生き残れずに、信長は討ち取った取られていた
取られていた可能性が高い。信長は過大評価されすぎです。
ゲスト1さんの評価
有力家臣がいなかったら生き残れない武将
信長は絶対弱いです。
理由の一つ目は金ヶ崎の戦いで信長は自分で無茶なことをしておいて敗北すると自分でだけ逃げた所です。また、それだけではなく、信長の戦の中でも自分は敵に負けそうになったけど優秀家臣のおかげで命拾いすることが多かったからです。
理由の二つ目は信長の家臣団内の裏切りが多いことです。だから、天下統一ができなかったと思います。
理由の三つ目は無茶なことをしすぎていることです。上杉みたいにやればもっと素早く天下を取れたと思います。無茶なことをして強敵を作り、天下までにに時間をかけだった空です。
ゲスト1さんの評価
経済力で最強だが、戦の采配が下手で統率力が低い
足利義昭を守って京に入り室町幕府の将軍に任命させたとき、義昭から恩賞として新しい領地か副将軍の座を与えることを提案されていましたが、なんと信長は2つとも拒否!信長はその代わり、堺、草津、大津を直轄とすることを許してもらいたいと言ったのです。そのおかげで、莫大な関税収益を得るすることができたり、輸入された物を独占し、そこからなる経済封鎖が可能になりました。また、経済封鎖によって、長篠の戦いに大きなアドバンテージができました。なんと武田軍は、鉄砲の弾薬を手に入れることができなかったのです。その結果、織田、徳川連合軍は、武田軍をフルボッコにしたのです。つまり、信長は経済力で軍事力を強化したり、相手を弱体化させ、アドバンテージをつくって、周囲の大名を圧倒していたのです。つまり、信長は経済力に優れた大名ということですね。しかし、戦の采配は下手で、姉川の戦いでは、徳川軍の援軍がこなければ負けていました。そして和歌川の戦いでは10万の大軍がいたのにたった2000の雑賀孫市にボロ負けする始末。そして統率力が低く、そのせいで光秀に討ち取られました。経済力は最強ですが、戦の采配の下手さと統率力の低さ、相殺して50点です。
歴史マニア(中2)さんの評価
戦国武将で一番過大評価されてる武将
ヶ崎の戦いでは自分から無茶なことをして家臣を置き去りにして自分だけ敗走。
姉川の戦いでは兵の少ない浅井長政に圧倒されて本陣にまで迫られていた。
和歌川の戦いでは自分の50分の1の兵しかいない雑賀衆にボロ負けした。
いずれも優秀家臣や同盟相手の手助けがないと生き残れずに、信長が討ち討ち取られていた可能性が極端に高い戦で、家臣に守られて生きることができる奴が強いなんておかしいです!!
ゲスト9さんの評価
優秀家臣が少なかったら勢力維持すらできない人
信長は金ヶ崎の戦いの時に明智などがいなければ京に戻れず、打ち取られていた可能性が高い。姉川の戦いの時は自分の半分ぐらいの兵しかいない浅井軍に負けていた。家康がいないと完敗したいた。
あとは気性荒れすぎで裏切り者が多い。それに裏切り者の城を兵糧攻めにして補給路を絶っているいる時に新たな裏切り者が出て新たな補給路が作られるなんてちょっと恥ずかしいデスヨネ。
ゲスト7さんの評価
日本一過大評価されてる武将
ヶ崎の戦いでは自分から無茶なことをして家臣を置き去りにして自分だけ敗走。
姉川の戦いでは兵の少ない浅井長政に圧倒されて本陣にまで迫られていた。
和歌川の戦いでは自分の50分の1の兵しかいない雑賀衆にボロ負けした。
いずれも優秀家臣や同盟相手の手助けがないと生き残れずに、信長が討ち討ち取られていた可能性が極端に高い戦で、家臣に守られて生きることができる奴が強いなんておかしいです!!
NO.10さんの評価
ナチス並みの極悪人
武士でない人も無理やり信長の配下になるのは少し遠慮させてくれと思う武将たちにも平気で自分が正しいかのように大勢殺して。許せない。 また、他の武将との簡単に破って領地を広げたので、それは周囲からも家臣からの不満も高まることでしょう。ただ単に領地を広げたからすごいと思われがちな信長はこうみて日本史最悪な人だったのです。
信長は日本史で見てもめったにいないナチス並みの極悪人であるに加え、最後は信長の人柄が家臣に映されて最後は謀反にあい、死ぬという人生の終わり方まで残念すぎです。
ゲスト7さんの評価
出汁にされてて草
おだがつきはしばがこねしてんかもちすわりしままにくうがいえやす
という歌をご存じだろうか?
この歌は織田(信長)が家康の天下の礎を築き
羽柴(秀吉)がそれを仕上げて
最後おいしいところを家康が持ってったというものだ
このようにいいように使われて天下をとれなかったただの哀れな信長が1位を取っていいのだろうか?
TAMUさんの評価
偉人ではないかなー
偉人とは言えない気がする。同盟を組んでいた家康に指示を出しているし、厳しすぎる。だから光秀にやられた理由にもなるかな。夢だったとは思うけど正直世界を統べるなんて無理にも程がある。日本と世界では格が違いすぎる。知られていない国もあるし相手の戦力は未知数。勝つ手段ある?
かのたんさんの評価
信長は実は非常に弱い
信長が強くなり、天下に名が知られたのは家臣団と運によるもの。
実際に信長が活躍した戦いは数えるほどしかなく、基本的に家臣による戦いである。また、武田を倒したあとは、北陸(上杉)に柴田勝家、
関東(北条)に滝川一益、中国(毛利)に羽柴秀吉、
四国(長宗我部)に丹羽長秀を派遣して自身は京で安土城を建てたりしていただけである。
桶狭間の戦いでは運によって今川義元を討ち取ったし、姉川の戦いでは徳川が朝倉を破ってたまたま勝てたし、長篠では武田が運良く突撃してきてくれただけである。運が悪く、家臣に恵まれていなければ
自質織田信長=小田氏治(最弱の大名)であっただろう。
家臣の武将がだーいすきさんの評価
本能寺の変は回避できた
信長が死んだ本能寺の変。本能寺の変では信長の供は100人もいなかった。このときに、「信長は家臣が裏切ることは絶対にない」と思っていた。もし、「裏切るかもしれない」と思っていれば、供を増やしたり護衛を強くしたりすることができた。あるいは、休む場所を寺ではなく城にしていれば味方の援軍が来るまで耐えれたかもしれない。よって、知略が低いことがわかる。
家臣の武将がだーいすきさんの評価
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サイコパス 大量虐殺者
ヒトラーと同じ脳構造、精神構造だと思う。
そうでなければ、女、子供、弱者までも躊躇なく殺害する事は出来ないと思う。
信長のこういった残虐性に生理的に嫌悪感を持ってしまう。
離れた時代の現代だから何故か大量虐殺しても好感を持たれてるけど、その時代に直に信長と接していた人間達からは嫌われ者だった。
部下からも恐れられ嫌われていたと思う。
だから結局部下に殺害された。
実際に身近にこんな高圧的で冷酷非情な上司いたらストレスフルで円形脱毛になりそうだし、いつ自分と自分の家族が殺されるか分からない。怖ろしすぎる。
Kさんの評価