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YUPONの剣力さんの「戦国武将最強ランキング」

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更新日: 2023/02/16

YUPONの剣力

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ランキング結果

1井伊直政

井伊直政

井伊 直政(いい なおまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。井伊氏第17代または24代当主。 上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。

赤鬼

直政は政治面でも活躍し、武術でも「井伊の赤鬼」とまで称された!家康になくてはならない存在!

2黒田官兵衛(黒田孝高)

黒田官兵衛(黒田孝高)

黒田 孝高(くろだ よしたか、旧字体:黑田 孝高)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。戦国の三英傑に重用され筑前国福岡藩祖となる。キリシタン大名でもあった。 諱(実名)は初め祐隆(すけたか)、孝隆(よしたか)、のち孝高といったが、一般には通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは剃髪後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をする。竹中重治(半兵衛)とともに秀吉の参謀と評され、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。

頭良すぎでやばい

官兵衛は九州征伐(島津征伐)で一番活躍したけど、秀吉は力を与えると裏切られそう(天下を横取りされそう)だったから褒美をちょっとしか与えなかった、、、やっぱそれだけあたまがいいんじゃ!絶対天下が取れたような気がする。

3武田信玄

武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。

4上杉謙信

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。戦国時代でも屈指の戦上手とされ、その神懸った戦績から後世、軍神や、「越後の龍」などと称された。

武神と言われるべき武将

勝率は7割を超えていて信長をも圧倒する戦上手さには誰にもかなわないでしょ!

5島清興(島左近)

島清興(島左近)

島 清興(嶋 清興、しま きよおき)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。筒井氏、石田三成の家臣。通称は左近で、一般には島 左近(しま さこん)の名で広く知られる。実名は勝猛(かつたけ)などの俗称が広まってはいるが、自筆文書においても「清興」の花押を使用しており、正確には清興であると考えられる。

三成になくてはならない存在

「三成に過ぎたるもの。それは佐和山の城に島左近」。。。島左近の絶大な評価が伺える。

6本多忠勝

本多忠勝

本多 忠勝(ほんだ ただかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。通称は平八郎(へいはちろう)。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。

強すぎる。。。

家康に使えたけど、戦い(武術)で言えば最強格じゃん。

7山県昌景

山県昌景

山県 昌景(やまがた まさかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将。甲斐武田氏の家臣で、譜代家老衆。後代には武田四天王の一人に数えられる。

めっちゃ勇敢

家康を三方ヶ原の戦いで追い詰めたし、政治面でも活躍し、武田家最強の家臣!

8毛利元就

毛利元就

毛利 元就(もうり もとなり)は、戦国時代の武将。毛利氏の第12代当主。 安芸(現在の広島県西部)吉田荘の国人領主・毛利弘元の次男。毛利氏の本姓は大江氏で、大江広元の四男・毛利季光を祖とする。家紋は一文字三星紋。

頭良すぎ

もともとはあんなに小さかった毛利家を大内氏や尼子氏といった有力大名を知略で破った元就ってやっぱ尊敬できるなぁ。。。

9竹中重治(竹中半兵衛)

竹中重治(竹中半兵衛)

竹中 重治(たけなか しげはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初名は重虎、のちに重治。通称は半兵衛(はんべえ)。父は竹中重元、弟に重矩。子に重門。従弟に竹中重利(府内藩初代藩主)。 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の参謀として活躍し、黒田孝高(黒田官兵衛)とともに「両兵衛」「二兵衛」と称された。しかし、軍功に関する逸話や美談の多くは後世の創作によるものと見られ、史実上の実像が不明瞭な人物である。

天才軍師

半兵衛は稲葉山城を16人で乗っ取っちゃった!やっぱ天才。亡くなるのが早すぎるよ(三木城の戦い)。。。

10島津義弘

島津義弘

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[注釈 2]と号したため、惟新公(いしんこう)との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。

退き口エグいて

あえて島津の名を汚さないために陣中突破とかめちゃくちゃかっこいいじゃん!その魂が西郷隆盛や大久保利通に受け継がれたってわけか、、、やっぱスゲー!!!

11真田昌幸

真田昌幸

真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。他にもお初という織田信長の使いに入った真田の子という説もある

もっと上位にいていい存在

昌幸は少数の兵で徳川を2回の蹴散らした!頭いいから好き!幸村(信繁)がこんなに有名なのは全部昌幸のおかげ!

12柴田勝家

柴田勝家

柴田 勝家(しばた かついえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。

人望が厚い

鬼柴田、瓶割り柴田、忠犬柴公、かかれ柴田。。。最強かよ。

13高橋紹運

高橋紹運

高橋 紹運(たかはし じょううん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後大友氏の家臣。吉弘鑑理の子で、立花宗茂の実父にあたる。 紹運は法名であり、初めは吉弘 鎮理(よしひろ しげまさ / しげただ)、のちに大友宗麟の命令で筑後高橋氏の名跡を継ぎ、高橋 鎮種(たかはし しげたね)と称した。

気が強い武将

岩屋城の戦いで島津4万〜5万の軍勢を800人足らずで食い止め、島津を苦戦させた!かっこいい

14伊達政宗

伊達政宗

伊達 政宗(だて まさむね)は、出羽国と陸奥国の戦国大名で、伊達氏の第17代当主。近世大名としては仙台藩の初代藩主である。幼名梵天丸。没後は法名から貞山公と尊称された。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世「独眼竜」の異名がある。

運がない…

伊達政宗は人気でめっちゃ強いけど。。。
強いて言うなら20年くらい生まれるのが早かったらな。。。

15織田信長

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名、天下人。

残酷だけど人思い

信長は残酷な行動も数多くしているけど、城下に住んでいる人のために楽市・楽座(城下が発展して自分の収入も増えるけど)などの政策を行い、キレやすいけど優しい一面もある信長、大好きです!

16藤堂高虎

藤堂高虎

藤堂 高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。 何度も主君を変えた戦国武将として知られる。築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などを築城し黒田孝高、加藤清正とともに名人として知られる。高虎の築城は、石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり、石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。

戦国武将の勝ち組

何回も主君をかえて、結局家康に仕えたけど、外様大名だし、信頼されにくいけど、大坂夏の陣の戦いぶりで、家康の信頼を勝ち取った!城作るのもすごいし。

17立花宗茂

立花宗茂

立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。大友氏の一族で、重臣。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。 なお、宗茂は晩年の名乗りであり、幾度も名前を変えているが、本項では便宜的に宗茂で統一する。

西国無双

立花宗茂は大友家一番の家臣!関ヶ原の戦いでは改易されたけど、その後徳川家康の信頼を勝ち取った最強の武将!

18小早川隆景

小早川隆景

小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。竹原小早川家第14代当主。後に沼田小早川家も継ぐ。

毛利の両川の一人

隆景は元春とともに毛利家を支えた、天才武将。隆景が亡くなったとき、黒田官兵衛に「これで日本に賢い人がいなくなった…」と官兵衛も認めた逸材

人柄が良い

関ヶ原の戦いにて、清州城にいた先鋒隊が家康の出陣を待ちかねて起こっているとき、長政が怒れる先鋒隊に丁寧に声をかけ、現場の空気を変えた!

20鍋島直茂

鍋島直茂

鍋島 直茂(なべしま なおしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、実質的には大名。戦国大名・龍造寺隆信の家老。肥前佐賀藩の藩祖。

隆信に信頼された人

隆信の死後、混乱の龍造寺家をまとめた!主君の隆信より順位上じゃん。。。

島津の中心

統率力に優れていて、人望の厚い人物。最強島津の中心の義久、神。

武田家の家臣の中でも最強クラス

長篠の戦いで敗北確実の状況でも、信春や昌景などの重臣たちは、死を覚悟して戦った!

最強軍師

伊達政宗の家臣として、伊達家を支えた、伊達政宗からの信頼が厚い!

鬼五郎左

事務に優れた、織田四天王の一人。安土城の築城工事を進めたりして、政治面での貢献が大きかった!

25前田利家

前田利家

前田 利家(まえだ としいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。俗に加賀百万石の祖とも称されるが、前田家が百万石を超えるのは利長・利常ら利家の息子たちの世代からである。

槍の又左、利家

又左衛門さんは、織田信長と豊臣秀吉の大切な家臣。政治面でも大きな権力をもち、五大老の一人になった!

26加藤清正

加藤清正

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助(とらのすけ)。熊本などでは現代でも清正公さん(せいしょうこうさん、せいしょこさん)と呼ばれて親しまれている(清正公信仰)。 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となる。秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になった。明治43年(1910年)に従三位を追贈されている。

築上名人

戦いにも強いし、賤ヶ岳の七本槍にも名を連ねているし、天下の名城、熊本城も建てた!

毛利の両川の一人

隆景とともに毛利家を支えた、無敗の猛将。

28北条氏康

北条氏康

北条 氏康(ほうじょう うじやす)は、戦国時代の武将。相模国の戦国大名。後北条氏第2代当主・北条氏綱の嫡男として生まれる。後北条氏第3代目当主。母は氏綱の正室の養珠院。 関東から山内・扇谷両上杉氏を追うなど、外征に実績を残すと共に、武田氏・今川氏との間に甲相駿三国同盟を結んで関東を支配し、上杉謙信を退け、後世につながる民政制度を充実させるなど、政治的手腕も発揮した。後北条氏当主として19年間、隠居後も後継者である第4代当主北条氏政との共同統治を12年間続け、30年以上にわたって後北条氏を率いた。

最強

周りに有力大名がいた中で勢力を広げていった氏康カッコいい!

29酒井忠次

酒井忠次

酒井 忠次(さかい ただつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将。徳川氏の家臣。徳川四天王・徳川十六神将ともに筆頭とされ、家康第一の功臣として称えられている。

四天王の中でも優秀

古くから徳川家康を支え続け、たくさんの戦で活躍した。家臣たちをまとめ、リーダー性もあった。

30今川義元

今川義元

今川 義元(いまがわ よしもと)は、戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者。 寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで領土を拡大させた。戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長軍に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。

ワンチャン天下取ってた、、、

信長に倒されてなかったら天下に一番近い存在だったし、武田信玄にも恐れられた人。

31徳川家康

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、旧字体: 德川 家康)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康(まつだいら もとやす)。戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府し征夷大将軍となる。三英傑のひとり。

我慢の人。

幼少期から人質生活を送っていて、最後には天下をとったし、我慢強い人だけど、正直負け戦も結構ある。家臣が超優秀。。。

。。。

政治は上手。ただそれだけ。。。

肥前の熊?

隆信は、肥前の熊って言われてるけど鍋島直茂や龍造寺四天王がいなきゃまともに戦えなかったんじゃない?今山の戦いもたまたま親貞がなまけてただけだし。

裏切ったし、厳島の戦いでまけたし、評価されない大名

信頼されてたのに、大内義隆を裏切り、結局毛利元就に厳島の戦いで負けてるし、弱く見られがちだな。。。

35豊臣秀吉

豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、旧字体: 豐臣 秀吉)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。

家臣と信長のおかげ。

家臣なしでなんかできたことある?さる(はげねずみ)って呼ばれてるほどだよ⁉弟の秀長が亡くなってからいきなり秀次を切腹にしたり、狂いだしたからなぁ。。。

36真田幸村(真田信繁)

真田幸村(真田信繁)

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。

正直そんなじゃね?

父(真田昌幸)の名が全国に知れ渡っていたからじゃね?そんなに活躍してる戦なんて少ししかないし、家康を追い詰めたわけでもなくない?倒せてないんだから。強さって言ったって全然戦出てないじゃん。。。だいたい真田十勇士の逸話がほとんどだし。俺は好きじゃない。

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