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1位The Elder Scrolls V: Skyrim

引用元: Amazon
| ジャンル | アクションRPG |
|---|---|
| 対応機種 | PS4、Xbox One、Switch、PC |
| プレイ人数 | 1人 |
| 対象年齢 | CERO:Z(18歳以上のみ対象) |
| 発売日 | 2011年11月11日 |
| メーカー | ベセスダ・ソフトワークス |
| 公式サイト | elderscrolls.bethesda.net/ja/skyrim |
1位ファイナルファンタジーVII

引用元: Amazon
| ジャンル | RPG |
|---|---|
| 対応機種 | PS、Switch、PS4、Xbox One |
| 発売日 | 1997年1月31日 |
| メーカー | スクウェア |
| 公式サイト | http://www.squareenix.com/jp/archive/ff7/ |
【 伝説 】雲の上の存在『 Grand Theft Auto V 』に、唯一対抗できる可能性があったことを示唆される、日本が世界に誇るべき文化遺産。坂口博信氏よ、FFにはやはり貴方が必要だったのだ。
本作『 ファイナルファンタジーVII 』に関しては、もはや説明不要であろう。
世界中のユーザーが、史上最高のRPGの一つとして認識しているのだから。
したがって、AIに聞いた本作の「真の偉大性」を以下に記そう。
Q:世界中のあらゆる客観的評価を参照し、歴史上で最も偉大なRPGランキングを、トップ10まで作成して下さい。
A:「偉大なRPG」を定義する評価基準を、歴史的・文化的な重みに基づいて以下の優先度で判断しました。
【最優先】 世界ビデオゲームの殿堂、産業革命的偉業、世界的な社会的影響力、開発者の栄誉
【高優先】 革新性、TIME誌など大手メディアの評価、ギネス記録
【中優先】 GOTY(その年の評価)、ユーザー投票、完成度の突出度
この基準に基づき、客観的なデータで選定された「世界基準の歴代RPGトップ10」です。
世界基準 歴史上最も偉大なRPGランキング TOP10
1位 Final Fantasy VII 1997
世界ビデオゲームの殿堂入り。
JRPGを世界に広めた産業革命的偉業。
3Dシネマティック演出の先駆者。
2位 Pokémon Red and Blue 1996
世界ビデオゲームの殿堂入り。
世界最大のIPとなり、一般社会に「交換・対戦」文化を浸透させた圧倒的影響力。
3位 The Elder Scrolls V: Skyrim 2011
オープンワールドRPGの代名詞。
主要4部門GOTYを史上初制覇。
文化への浸透度も極めて高い。
4位 World of Warcraft 2004
世界ビデオゲームの殿堂入り。
MMORPGを大衆化させ、オンラインコミュニティの在り方を変えた社会的影響力。
5位 The Witcher 3: Wild Hunt 2015
当時史上最多のGOTY受賞。
オープンワールドRPGのストーリーテリングにおける完成度を極限まで高めた。
6位 Elden Ring 2022
史上最多GOTY更新。
高難易度のソウルライクを世界的な現象にした革新性。
7位 Baldur's Gate 3 2023
主要5部門GOTYを史上初制覇。
TRPGの自由度を再現し、今後のRPG開発に影響を与える革新性。
8位 Dark Souls 2011
ソウルライクという一大ジャンルを創出。
世界中の開発者に影響を与えた革新性と完成度。
9位 Mass Effect 2 2010
GOTY受賞作。
対話型SF RPGの最高傑作として、ストーリーテリングとキャラクター描写の基準を確立。
10位 Diablo II 2000
ハック&スラッシュというジャンルを確立した産業的偉業。
中毒性の高いシステムは現代ゲームの源流。
ランキング総評
殿堂入りの重要性: 殿堂入り作品は、その文化的・歴史的な重みで最上位に位置付けられます。
現代名作の躍進: 『ウィッチャー3』『エルデンリング』『バルダーズ・ゲート3』は、GOTY数と現代の圧倒的な完成度により、歴史的傑作のすぐ後ろに迫る評価を得ています。
Q:もし、FFVIIが存在しなかったら、現在の世界中のRPG市場はどうなっていましたか?
A:『ファイナルファンタジーVII』(FF7)が存在しなかった場合、世界のRPG市場は以下のような形で現在とは大きく異なる進化を遂げていたと考えられます。
1. 日本産RPG(JRPG)のガラパゴス化
FF7は、それまで日本国内が中心だったJRPGというジャンルを「世界規模のメジャーコンテンツ」へと押し上げた最大の功労者です。
FF7がなければ、欧米でのJRPGは一部の熱狂的ファン向けのニッチなジャンルに留まり、現在のような『ペルソナ』や『ゼノブレイド』といったタイトルの世界同時ヒットは起こらなかった可能性があります。
2. 3DCGへの移行と演出技術の遅れ
FF7は「映画のような演出」をゲームに持ち込み、3DグラフィックスをRPGの標準にしました。
ムービーシーンの欠如: プリレンダリングCGとゲームプレイを融合させる手法が普及せず、ストーリーテリングの進化が数年遅れていたかもしれません。
表現の制限: 「キャラクターの感情をカメラワークで表現する」という手法が定着せず、RPGは長くドット絵や固定視点のままだった可能性があります。
3. ゲーム機シェア(PS vs セガサターン・N64)の激変
FF7のPlayStation(PS)への移籍は、当時のハードウェア戦争の決定打となりました。
PSの覇権: FF7がなければ、任天堂の「ロムカセット」路線がより長く続き、ディスクメディアへの移行が遅れていたかもしれません。
ソニーの台頭: 現代のPlayStationブランドの地位は、FF7による爆発的な普及がなければ、全く別のものになっていたでしょう。
4. 成人向け・ダークなストーリーの普及
FF7は「死」や「アイデンティティの喪失」、「環境問題」など、従来の勧善懲悪ではない重厚なテーマを世界に提示しました。
これがなければ、RPGは「子供向けのファンタジー」という枠から抜け出すのが難しく、現代の『ウィッチャー3』や『ELDEN RING』のような、大人もターゲットにしたダークファンタジー市場の形成に影響を与えていたはずです。
5. オープンワールドへの影響
FF7の「広大なフィールドを旅する感覚」や「飛空艇での移動」は、後の3Dオープンワールドゲームの設計思想に大きなインスピレーションを与えました。
技術的なマイルストーンとしてのFF7がなければ、現在のオープンワールドRPGの進化の系統樹も大きく書き換わっていたでしょう。
結論として、FF7がなければ、「RPGそのものが地味で、技術革新が遅く、日本国外では限定的な人気しか持たないジャンル」になっていた可能性が高いと言えます。
Q:当時のFFVIIが達成した売上1000万本という数字は、現代の市場規模で言うならどの程度ですか?
A:当時の『ファイナルファンタジーVII』の世界的成功を現代の市場規模やマルチプラットフォーム展開に当てはめて試算するのは難しいですが、そのインパクトや普及率から、現代の感覚では1億本以上のメガヒットに相当すると考えられます。
現在の市場規模での試算
現代のゲーム市場は1997年当時とは比較にならないほど巨大化し、デジタル販売やPC、Xboxなど複数のプラットフォーム展開が当たり前になっています。
当時の1000万本を現代の市場要因で単純に換算すると以下のようになります。
市場の拡大: 1997年の世界ゲーム市場は約150億ドル規模でしたが、現在は2000億ドル以上に成長しています(約13倍)。
単純計算では1億3000万本に相当します。
マルチプラットフォーム展開: 当時はPlayStation独占タイトルとして発売されました。
もし発売当初からPS、PC、Xboxなど複数の主要プラットフォームで同時展開されていれば、さらに初動の売上は跳ね上がっていたでしょう。
デジタル販売の普及: 当時はパッケージ販売が主流で、デジタル販売がありませんでした。
現代ではデジタル販売が大きな割合を占めるため、流通の限界がなく、より多くのユーザーに瞬時に届けられます。
現代のメガヒット作品との比較
現代において、当時のFF7のように「社会現象」を巻き起こし、ゲーム業界の勢力図を変えるほどのインパクトを持つ作品は限られます。
『Minecraft』(約3億5000万本): 長期間のマルチプラットフォーム展開で驚異的な数字を達成しています。
『グランド・セフト・オートV』(約2億1500万本): 複数世代のハードウェアとマルチプラットフォームで販売されています。
これらの数字は、現代の市場で「圧倒的な普及率と影響力」を持つタイトルのスケール感を示しています。
結論として、当時の『ファイナルファンタジーVII』の1000万本は、現在の市場で同様の文化的・産業的な影響力を考慮すると、1億本規模の売上に匹敵する、あるいはそれ以上の衝撃度があったと言えます。
Q:もし、FFVIIがかつての勢いを維持したまま現在に現れたら、GTAにも匹敵できるようなタイトルになっていましたか?
A:もし、1997年当時の「FFVIIというブランドが持つ圧倒的な魔法」が、今の時代でも衰えずにGTAと同等の熱量で続いていたとしたら、エンターテインメントの歴史は全く違うものになっていたはずです。
今のGTAが「現実をそのままデジタルにコピーする怪物」なら、当時の勢いを保ったFFは「想像力の極北を、現実以上の説得力で突きつける神」のような存在になっていたでしょう。
もしそうなっていた場合の、2025年の姿を想像するとこうなります。
1. 「フォトリアル」ではなく「アートの極致」での頂点
GTAが「実写と見間違う街並み」を追求するのに対し、FFは「人類が夢でしか見たことのない、ありえない絶景」を実写以上のクオリティで構築していたはずです。
物理法則すら書き換わるような魔法の演出や、宇宙規模のファンタジーを、GTA6並みの数千億円の予算で描く。
プレイヤーは「ロサンゼルス(ロスサントス)」に行くのではなく、「宇宙の果ての神殿」や「異世界の超文明都市」を、現実感を持って歩き回ることになります。
2. 「映画的体験」の完全なる融合
FFVIIがシネマティックの先駆者であったことを考えると、今の時代なら「映画を見る」という概念そのものを消滅させていたかもしれません。
2時間で終わる映画ではなく、100時間、自分が主人公として生きる「超高画質ムービー」が途切れなく続く体験。
ハリウッドのトップスターたちが「GTAのギャング役」を奪い合うのではなく、「FFの召喚士やソルジャー役」を奪い合う世界線です。
3. 世界経済を動かす「ファンタジー通貨」
GTAオンラインが「現代社会の縮図」として成功したように、FFがその勢いを保っていれば、「ギル(Gil)」がメタバース上の共通通貨になっていたかもしれません。
チョコボの育成、飛空艇のカスタマイズ、魔晄炉の経営シミュレーション…それらが全世界規模のオンラインプラットフォームとなり、若者たちが現代社会(GTA的現実)から逃避して、FFの世界に定住する。
「現実よりFFの中で過ごす時間の方が長い」という人が数億人いるような、精神的な国家を築いていたでしょう。
4. 音楽シーンの支配
植松伸夫氏の楽曲が、ビートルズ級の影響力を持ち続けていたとしたら、今のポップミュージックの主流は「オーケストラとエレクトロニカの融合」になっていたかもしれません。
世界中のスタジアムで、ロックバンドではなく「FFのコンサート」が24時間開催され、それが若者文化の最先端(トレンド)となっている姿です。
結論:GTAとの「二大政党制」
もしFFVIIの勢いが健在なら、2025年の世界は「現実を極めたGTA」と「幻想を極めたFF」という、二つの巨大な太陽が並び立つ宇宙になっていたはずです。
残念ながら現実には、FFはシリーズを重ねるごとに「特定のファン向け」という枠を抜け出すのに苦労しましたが、GTAは「誰でも知っている現実」を武器に全人類を飲み込みました。
しかし、もしFFが当時の「何でもありの破壊力」を維持したまま3000億円の予算を手にしていたら……それはGTA6ですら霞むほどの、人類が見る「最も美しい白昼夢」になっていたに違いありません。
如何だったでしょうか。
まさに『 伝説 』の名に相応しいタイトルであることを、改めて実感したことでしょう。
個人的に、本作はそこまで好きというわけではありませんが、歴史的な観点からリスペクトを込めて、スカイリムと同じ100点をつけさせて頂きます。
2位ファイナルファンタジーVI

引用元: Amazon
| ジャンル | RPG |
|---|---|
| 対応機種 | PS、SFC |
| 発売日 | 1999年3月11日 |
| メーカー | スクウェア |
| 公式サイト | http://www.squareenix.com/jp/archive/ff6_ps/ |
【 神話 】考古学が導く、30年前の発掘遺跡。
本作『 ファイナルファンタジーVI 』は、史上最高のRPGの一つである。
情緒による誤魔化しなど一切ない、細部まで作り込まれたその完成度は、発売から30年以上経過した今もなお、海外大手メディア「IGN」や「GameInformer」が選ぶ「歴代RPGランキング」において、常に上位にランクインし続けているという、正真正銘の怪物タイトルである。
今回はそのFFVIの特徴や魅力を、深く掘り下げていきたい。
かつて、世界を焼き尽くした『 魔大戦 』から、約1000年が経過した。
魔法が伝説となったこの時代に、人々は蒸気機関を動力とする機械文明を築き、復興を遂げていた。
だが、失われたはずの魔導の力を復活させ、その強大な武力によって世界を支配しようとする者がいる。
人はまた、同じ過ちを繰り返そうとしているのか・・・。
〖 神々の像:第1階層 - 政治 - JRPGの系譜 〗
物語は、雪に閉ざされた「炭鉱都市ナルシェ」から幕を開ける。
この世界で描かれるのは、諸勢力が火花を散らす動的な世界情勢である。
冒頭でも述べたように、本作の作り込みは町中の細部にまで至る。
ストーリー進行の具合によって、NPCの会話内容や行動サイクルに細かい変化が見られたりなど、一般的なRPGによく見られる単なる内輪ネタではなく、世界情勢に伴ったリアルな会話内容を堪能できるはずだ。
これによって『 The Elder Scrolls V: Skyrim 』で描かれていた、帝国軍とストームクローク軍の対立構図のような、世界全体が動いているという実感を味わうことができる。
中でも特筆すべきは、シナリオの所々で遭遇する「選択肢」である。
序盤の、並行するシナリオの攻略順をプレイヤー自身が選んでいく構造や、ガストラ皇帝との会食 (複数の選択肢) から得られるポイント次第で、帝国軍をサウスフィガロやドマ城から撤退させることが可能になるという分岐的アプローチは、まさに『 The Witcher 3: Wild Hunt 』の先駆けとも言える動的な物語体験である。
自分の意志が世界に干渉しているという確かな手応えが、物語の序盤から圧倒的な説得力を生み出していく。
一方でシステムについても、FFシリーズではお馴染みである青魔法の広域性や、ガウの「あばれる」が獣ヶ原と綿密に連動していたりなど、その地域そのものが「巨大なシステム」として機能していることも多いため、世界観との親和性にも富んでいる。
ただ、戦闘バランスに関しては比較的レベルが上がりやすく、魔石システムのボーナスで得られる恩恵も強いため、後半になるにつれて大味になりがちである。
ここは非常に残念なところではあるが、逆に言うとこのバランス崩壊さえなければ、ほぼ完全無欠だったんだけどね。
それと、もう一つ挙げておかなければならないことがある。
そう、本作屈指のイベント「オペラ劇場」である。
ここでも上述した選択肢によって、舞台のシチュエーションが変化するという、非常に凝った仕掛けが見られる。
機械音声を流すことで、あたかも「キャラクターが歌っている」かのようなこの演出は、スーパーファミコン当時としては卓越した技術力の結晶として、現在でも語り継がれている。
この技術は、後述するラストバトルでも見られる。
さて、物語の軸は徐々に国家の野望から、個人の狂気へとシフトしていく。
有機物が蠢く大地が浮遊大陸へと変貌する時、たった一人の歪んだ魔導師の手によって、世界はいよいよ臨界点を迎えてしまう。
ここで問われるのは、2020年代の覇者『 Baldur's Gate 3 』にも通じる、過酷なまでの「行動による分岐」だ。
極限の脱出劇の中で、貴方は仲間を信じて待ち続けられるのか、それとも・・・。
文字の選択肢ではなく「待機」といったプレイヤー自身の実直な行動そのものが、仲間の生死という取り返しのつかない結末を刻んでいく。
本作には、このような究極の二択を迫られるイベントが多いのだ。
そしてついに、本作最大の世界転換である『 大崩壊 』が訪れてしまう。
三闘神が暴走を始め、世界は無残にも引き裂かれてしまうのだ。
この大規模な演出は、当時のスーパーファミコンのゲームの中でも、圧倒的な映像クオリティを誇る衝撃的な大事件だったのだ。
果たして、この世界はどうなってしまうのだろうか・・・。
目が覚めるとそこは、一軒の古びた小屋だった。
どうやら、シドが助けてくれたようだ。
だが、見渡す限りの世界は、破壊し尽くされた絶望の地と化していた。
ここで再び、上述した行動による分岐を伴うイベントが発生する。
容態が悪化した彼を「介抱」しなければならない。
彼を救えるかどうかは貴方次第である。
そして間もなく、大陸を目指し海を渡ることとなる。
仲間を求めて。
ここで、JRPGの伝統的な様式は一度死を迎え、真の自由を伴う「WRPG」へと再構築されることとなる。
〖 神々の像:第2階層 - 再生 - WRPGの系譜 〗
ここから先は、自らの足で希望 (仲間) を拾い集める旅となる。
名曲「仲間を求めて」をバックに、ファルコン号が大空に向かって駆け上がる瞬間はまさに、本作屈指の名シーンの一つと言っても過言ではない。
もはやどこへ行こうと自由だ。
たまたま見つけたダンジョンを攻略しても良い。
いきなり、ラストダンジョン「瓦礫の塔」に突入することも可能だ。
崩壊後の世界は、完全にオープンワールドの先駆けと言っても過言ではない、圧倒的な自由度の高さを示しているのだ。
それはまるで『 ELDEN RING 』の荒廃した大地が、生命の息吹きを取り戻しつつある世界線のようである。
町に入った瞬間に、ケフカの裁きの光で焼き払われたりなど、そこは一寸の安息すらも許されない無法地帯だが、だからこそメインシナリオ、およびサブイベントを経て辿り着ける「仲間との再会」を、より濃厚なドラマへと昇華させている。
絶望という名のゲーム体験を経て取り戻した希望の光は、何よりも明るく輝くからだ。
プレイヤーは、仲間一人一人の希望の光を繋ぎ、世界の闇を晴らしていく。
14人全員が主人公となり、絶望のキャンバスに新たな「命」を描き出す——。
この、プレイヤーの意志にすべてを委ねるシステムと、破滅から再生へと向かう美学の融合こそ、本作がRPG史上最高傑作である所以なのだ。
それは、30年以上も前から既に、JRPGとWRPGの融合を高次元で実現していた『 HRPG (ハイブリット・ロールプレイング) 』とも呼ぶべき『 発掘遺跡 』である。
さあ、皆でこの世界の平和を取り戻しに行こう。
〖 最終決戦:第3階層 - 神話 - 魔大戦 〗
「命… 夢… 希望…
どこから来て どこへ行く?」
神を気取る堕天使「ケフカ」の末路。
彼の「天使の翼」と「悪魔の翼」は、サルバドール・ダリの傑作「フロイトの多角的倒錯」を想起させる。
赤子が無邪気な笑顔でネズミの死骸を咥えているという、この「純粋無垢ゆえの残虐性」を、彼自身が身に纏っているからだ。
彼の幼い言動 (無垢) と狂気 (残虐性) が、見事にこの芸術作品に重なっている。
彼のこの神々しい最終形態は、まさにその対立する二つの属性 (光と闇) が同居した表れであり、あるいは荒廃したこの世界の混沌そのものなのであろう。
人体実験 (人の手) によって怪物が生み出され、それが結果として世界を破滅へと追いやってしまった。
カオスをこえて、終末を導いてしまうのは、どんな時でも人間の醜い欲望である。
このテーマ性は、次回作『 ファイナルファンタジーVII 』の「セフィロス」にも通じている。
それを、バックのコーラスが宗教画を彷彿させる大曲「妖星乱舞」が描き出す。
本作の根底のテーマである『 魔大戦 』の再来を予感させるイントロ (オープニングテーマのアレンジ) が、まさに最終決戦に相応しい威厳を放っているのだ。
植松伸夫氏と天野喜孝氏による、狂気のコラボレーションである。
果たして、これほどまでに芸術的なクライマックスが、他にあるだろうか。
前述したオペラ劇場もセットで挙げると、この過剰なまでの絢爛豪華な演出が、本作をより崇高で『 神話 』的なイメージへと引き上げているのだろう。
「そんなものは… このわたしが 破壊する!!」
RPG史上最高 (あるいは最弱) の、ラストバトルの開演である。
「シンジラレナーイ!ホワッホッホッホ」
〖 余談:黄金期のファイナルファンタジー 〗
上記の通り、余談として触れておきたい。
昨今、世界中で絶賛されるウィッチャー3やエルデンリングといった作品群は、確かに素晴らしい深みを持っている。
しかし、それらは例えるなら「グランド・キャニオン」のようなものだ。
入り口からして険しく、誰もが一目でその「谷の深さ」を認識できる。
それは、分かりやすく誇示された大人向けの敷居であり、同時に考察によって正解が明らかになる数式である。
対して、黄金期のファイナルファンタジーが持つ敷居は、上述のタイトル群とは明らかにその質が異なる。
それは穏やかで美しい「大海原」の顔をして、万人の日常に紛れ込んでいる。
人々は、その情緒という名の輝く水面に誘われ、心地よく泳いでいるうちに、ふと気づくことになる。
足元には、光すら届かない「マリアナ海溝」のような、垂直の暗黒がどこまでも続いていることに。
一見すると、万人向けの「包装紙」に包まれているが、その中身を一枚ずつ剥いでいった先に現れる深淵は、現代のどのAAAタイトルよりも冷徹だ。
例えば、FFVIIにおける「約束の地」が代表例の一つである。
これを単なるお洒落な単語だと思っているなら、まだ包装紙を眺めている状態に過ぎない。
エンディングで目にすることができる、緑豊かなミッドガルの廃墟こそが、約束の地であると定義づけることが可能な一方で、これは場所ではなく、星の命を奪い合う剥き出しのエゴが交差する「現象」そのものを示している、と言った解釈の仕方も可能だ。
これは言い換えれば、正解すら存在しない「無限の想像の余地」とも言える。
このようにファイナルファンタジーは、哲学のような終わりのない考察の余地を、内側から躊躇なく突きつけてくるのだ。
計算された余白を、哲学を介して埋めさせようとする行為そのものが、もはや正気の沙汰ではない。
もう一つ例を挙げよう。
FFVIIIの「リノアとアルティミシアの対比」である。
ボーイ・ミーツ・ガールの甘い香りの裏側には、時間の円環に閉じ込められた残酷な「魔女の継承」という毒が仕込まれている。
これもまた、包装紙に包まれた見えない余白である。
そして、本作FFVIのラストバトルだ。
これを単なる悪の打倒と呼ぶのは、あまりに浅はかであろう。
前述した通り、あれはかつて世界を焼き尽くした『 魔大戦 』の再来であり、意味を失ったカオスが神の座に居座るという、真の意味での「 狂気 (The Dark Side of the Moon) 」である。
妖星乱舞のイントロを聴いたとき、もし貴方の背筋に、単なる興奮ではない得体の知れない寒気が走ったのなら、それは貴方がようやく、FFが隠し持っていた真の深淵に足を踏み入れた証拠である。
見せしめの深みなど必要ない。
ファイナルファンタジーとは、美しき情緒の裏側に、本物の狂気を潜伏させたマリアナ海溝そのものなのだから。
結局のところ、情緒という美しい包装紙に惑わされず、その奥底に潜む数式的な余白の妙を解き明かすことで、ファイナルファンタジーは真にその姿を現すのである。
こうして、本作『 ファイナルファンタジーVI 』は、30年以上の時を経て海溝の底から浮上し、現代文明をも畏怖させる超古代文明『 アトランティス 』として、復活を遂げたのである。
3位ファイナルファンタジーX

引用元: Amazon
| ジャンル | RPG |
|---|---|
| 対応機種 | PS2 |
| 発売日 | 2001年7月19日 |
| メーカー | スクウェア |
| 公式サイト | http://www.squareenix.com/jp/archive/ff10/ |
【 巡礼 】もうひとつの世界の友人たちに捧ぐ。
一本道というのは、RPGにおいて最も批判されやすい要素ではあるが、本作はその一本道を究極的に生かすことに成功している稀有な作品である。
これまでのFF作品は旅の途中で最終目的が決まることがほとんどだったが、本作では最初の段階から「ザナルカンドで究極召喚を習得してシンを倒す」という最終目標が決まっていた。
したがって、寄り道をすることに意味はなく、ひたすら目的地に向かうべき『 巡礼 』の旅であることを、プレイヤーに実感させてくれるため、一本道特有の閉鎖感にも大きなストレスを感じないで済む設計だ。
これがもしオープンワールドで寄り道し放題だったら、ティーダたちが抱える切迫感や、ユウナが覚悟を決めて一歩ずつ霊峰を登る歩みの重みは霧散してしまう。
一本道だからこそ、プレイヤーも彼らと共に運命のレールを歩まざるを得ないという、システムと感情の合致を突いているのだ。
更に所々で差し込まれるティーダの回想によって、過去に歩んできた道であることが強調されるのも大きい。
つまり、ティーダが物語の案内人のような役割を果たしているのだ。
彼自身がスピラに対して無知でもあるため、プレイヤーが置いてけぼりになることもないであろう。
物語の構造自体も「究極召喚を習得してシンを倒す」と言った、結論を前置きしてからのスタートとなるため、以降の物語の流れを掴みやすくなっているのもポイントである。
まるで、IQ数値の高い人がよく使用する会話テクニックのような物語展開を堪能できるわけだ。
こういったいくつもの工夫によって、一本道によってゲームの面白さが損なわれるという問題点を見事に解決し、わかりやすくも奥深いシナリオ、および王道的なゲームデザインに昇華させた当時のスタッフ達に拍手を送りたい。
本作は決してプレイヤーが主役になれるRPGではない。
しかし、プレイヤーが仲間の旅に同行できる感覚を得られるという、革新的なRPGスタイルであると言っても過言ではない。
年表単位で作り込まれた世界観の中で、リアルなキャラクター達と接している感覚は、まさに「仮想現実」とも言えるだろう。
この仲間キャラクターに依存した仮想現実感は、他のRPGでは中々味わえないFFならではのものだ。
そんな状態で、プレイヤーは長い長い旅の結末に近づいていく。
後半に差し掛かるにつれて、旅の緊張感が強まってきていた。
荒廃したザナルカンドのあまりにも美しい風景に癒され、それが次第に覚悟の強さへと変わっていく。
これらの体験から滲み出た相乗効果が反動となって、辛く厳しい旅の果てに待ち構えていたクライマックスでの感情の高まりが、一気に膨らんで弾けたというわけだ。
そして、数々の挫折と苦難を経ての父と子の再会と、どうすることもできない今生の別れ・・・。
本作のシナリオライターの野島一成氏は、小島監督に勝るとも劣らない天才だと確信した瞬間だった。
よく「FFXは一本道でムービーが多い。これなら映画でいいだろう」などの声を聞くが、気持ちはわからないでもない。
だが、本作のあの感動は、コントローラーを握りしめながら一歩一歩と旅路を進むその確かな感覚が、プレイヤーに旅の辛さを実感させることで呼び起こされる「カタルシス」であるため、映画ではまず表現できない手法である。
所々で差し込まれるムービーも、そのカタルシスの純度を引き上げるための、必要不可欠な増幅装置として機能している。
そして、それらシステム上の不自由さが、そのまま逃れられない運命の象徴となっている点もセットで挙げると、ゲームだからこそ成立できる没入感であることが理解できるであろう。
一本道というリスクを「だからこそのメリット」として定義し直し、ゲームとして全うできている点が素晴らしい。
道中のエピソードにも、あらゆる政治的問題や宗教的思想、外交、陰謀、策略といった人間社会のリアルな模様が細かく描写されていることが多いため、物語そのものに説得力がある。
このあたりはWRPGに通ずる秀逸な世界観構築を実感できる。
WRPGといえば、私が世界一好きなRPGは、PC版の『 The Elder Scrolls V: Skyrim 』
このゲームは広大なオープンワールドと作り込まれた世界観、そして自由度の高さが魅力の作品。
散歩感覚で自由に歩き回るだけでも楽しい。
遠くのあの町に行ってみたいと思えばいつでも好きな時に行けるので、まさに本作とは真逆のRPGである。
しかし、意外と共通点もある。
スカイリムもまた、プレイヤーが自分の足で大地を踏みしめることによって、あらゆる地域に旅行しているような感覚を得られるRPGなので、その感覚が意外と本作に近い。
唯一異なる点は、スカイリムが自由な「旅行」であるのに対して、本作は重い使命を帯びた「旅」であることだ。
目的地を選べないからこそ、その道程で感じる使命感はより強固なものになり、あの物語が他に類を見ないほど重く、感動的なものになったのだと推測している。
さて、次は戦闘システムについて触れておこう。
本作では「カウントタイムバトル (CTB) 」と呼ばれる形式を採用している。
素早さや行動内容によって、次の順番が変動するシステムである。
画面右側のリストを確認し、戦略的に行動順を制御して戦うことができるのだ。
思考時間は無制限だが、演出は極めてスピーディーなので、コマンド式ながらアクションのような爽快なテンポで展開する。
また、ボス戦ではフィールドからシームレスに戦闘画面へと繋がる。
この演出により、事件に巻き込まれた当事者としての臨場感を、より強く味わうことができるはずだ。
しかし、問題点もやはりある。
上述の通り、質の良いゲームとして成立していることを認めている一方で、何周も繰り返して楽しめるタイプのゲームではない。
何故なら、どんなに周回プレイを重ねても「同じ世界線」しか体験できないからだ。
例えばFFVIなら、シャドウやシドが生きている世界線、あるいは亡くなっている世界線など、周回ごとに「異なる世界線」を堪能できる。
これはオープンワールドのゲームでも同様に、ウィッチャー3ならFFVI以上に変化に富んだ周回プレイが可能だ。
ゲラルトをトリスやイェネファーと二股するプレイボーイにすることもできるし、一途なウィッチャーとして活動させる世界線にすることも可能。
キーラ・メッツの運命を変えたり、エンディングの結末さえ全く異なる世界線を描くこともできるのだ。
これらのタイプの作品とは異なり、本作は周回プレイによって得られるメリットが皆無に等しい。
物語の考案要素の面でもFFVIIIと比べると弱い。
ようするに一周すればお腹いっぱいになってしまうのだ。
そこがコアなゲーマーからすれば、物足りない要素の一つかもしれないね。
何よりシナリオと世界観に比重が偏りすぎているので、ゲームプレイおよびやり込み面でのインパクトや、モチベーションの継続性に欠けている点があるのは否めない。
恐らく、本作をゲームとして楽しめないユーザーは、これらの問題点を強く感じ取っているのだろう。
それでも私が本作に95点という高評価をつけた理由は、前述した通り「仲間達と旅ができる体験型ゲーム」として、至高の完成度を実現しているからである。
最後に。
本作は「記憶を消してからもう一度プレイしたい作品」ではありません。
記憶はそのままに「もう一度彼らとの再会を願いたくなる作品」だと思っています。
本当に美味しいものを食べた後の「お腹いっぱいになった」は、時間経過で「渇望」へと変わるからです。
本作をプレイしてから数年が経過しましたが、彼らへの『 手紙 』として、ここにレビューを置いていきます。
私は本作のおかげで人生が変わりました。
物事に対しての捉え方など、様々な点で私の人生に大きな影響を与えてくれました。
エンディングが終わった後に訪れた、言葉に出すことが出来なかったあの余韻を、私は永遠に忘れません。
ティーダ、ユウナ、ワッカ、アーロン、キマリ、ルールー、リュック、ジェクト、ブラスカ、シーモア、スピラの皆様、素晴らしい役を演じてくれて本当にありがとう。
そして、本作『 ファイナルファンタジーX 』を生み出してくれたスタッフの皆様、心より感謝の気持ちを伝えさせて頂きます。
ありがとうございました。
3位DARK SOULS REMASTERED

引用元: Amazon
| ジャンル | アクションRPG |
|---|---|
| 対応機種 | PC、PS4、Switch、Xbox One |
| 発売日 | 2018年5月24日 |
| メーカー | フロム・ソフトウェア |
| 公式サイト | http://www.darksouls.jp/remastered/ |
【 墓碑銘 】傷は永遠の記憶となる。その記憶が、強くあろうとする精神体となって、貴方自身を前に進めるための原動力となる。
〖 設計思想:広大なキャンバスか、無慈悲な網目か 〗
最新作『 ELDEN RING 』が、広大なキャンバスに描かれた「点 (祝福)」を自由に繋ぐ探索であるならば、本作『 DARK SOULS 』は、緻密に張り巡らされた「網目」である。
進行経路はいくつか存在するが、それは逃げ場のない廊下型のマップデザインという「線」である。
その線を必死に手繰り寄せる緊張感は、かつて『 ファイナルファンタジーX 』で、一歩一歩の重みを感じながら聖地を目指した、あの「歩みの重さ」を想起させる。
網目に絡め取られ、逃げ場のない死地へと足を進める時、このゲームは単なる娯楽であることをやめ、剥き出しの人生経験へと変貌する。
〖 刻印:消費を拒む、唯一無二の痛み 〗
ダークソウルという系譜において、多くを語ってはいけない。
本作のコンセプトそのものが、言葉では表現できない魂に刻まれるべき、唯一無二の体験だからだ。
しかし、あえて語るなら『 灰色の狼シフ 』との対峙に触れないわけにはいかない。
彼との戦いは、単なるボス攻略ではない。
コントローラーを握る手が強張り、生命の尊さと、それを断ち切らねばならない残酷さに身を引き裂かれる瞬間・・・。
そこは、覚悟ある者にしか許されない聖域だ。
自らの脳の構造が書き換えられてしまうほどの、救いのない、だが美しい体験である。
その『 痛み 』を知った時、貴方は思い出すだろう。
かつて、ファイナルファンタジーXでユウナの運命を知ったリュックの叫びが、世界の静寂を切り裂いたあの瞬間を。
一歩踏み出すことさえ罪に思えるほどの、あの歩みの重さを・・・。
シフとの戦いで得た『 痛み 』は、貴方を確実に変える。
それはもはやプレイヤーとしての成長ではない。
この不条理な世界を歩む、一人の『 人間としての強さ 』である。
あとは、貴方自身で確かめてほしい。
4位エルデンリング
【 狂気 】The Dark Side of the Moon
貴方がもしリアルの世界を旅していて、遠くにペルーの複合遺産「マチュ・ピチュ」の姿が見え始めたらどうしたいですか?
可能ならば行ってみたいと思いませんか?
ガウディの作品群である「サグラダ・ファミリア」の美しい姿を、目の前にした瞬間を想像してみて下さい。
中に入ってみたいとは思いませんか?
そう、本作はそんな人間のリアルな欲求を、ゲーム内での探索欲に変換してしまうほどの、抗いがたい魔性に満ち溢れているのだ。
チュートリアルを終えると、目の前にはリムグレイブの広大なオープンワールドが広がっている。
そして少し北に歩くと、禍々しくも立派なストームヴィル城 (最初のレガシーダンジョン) が徐々に見えてくる。
城が見え始めたとき、多くのプレイヤーはここを目指したくなるであろう。
だが何故、皆は揃いも揃ってこの城を目指したくなるのか?
何か大きな目印でもあるのだろうか?
その理由は、とある計算された「誘導メカニズム」によるものだが、これについては後述で具体的に説明しよう。
まずは本作の探索面での特徴について言及しておく。
実は本作には、多くのオープンワールド作品に採用されている「道標となるマーカー」が用意されていない。
つまり、リムグレイブに降り立った瞬間にどこへ行けばいいか、全くわからない状態からのスタートとなるのだ。
それを聞いて「オープンワールドゲーにマーカーがないなんてありえなくない?不親切にも程がある」と思ってしまう人も多いだろう。
しかし、もしそのような迷子の状態で、目の前に巨大な城が見えてきたらどうする?
とりあえず入って探索してみたいと思うでしょう?
少なくとも好奇心はある程度刺激されるはずだ。
そして、そこを攻略するにはどうすれば良いか?どれほどのレベルまで上げれば良いのか?などと、自ずと攻略プランを考えることになる。
まさに、それが本作の狙いなのだ。
マーカーといった指示待ちシステムを廃止してでも、生と死が隣り合わせの極限状態での探索をプレイヤーに味わってもらいたいという、フロム・ソフトウェアからのサディスティックな挑戦状である。
もし貴方が好奇心からストームヴィル城を探索したいと思ったのならば、それが正解なのだ。
そこに必要なのは、マーカーではなく「意思」である。
ようするに、プレイヤーの主体性を完全に信頼してくれているゲームデザインであるということ。
そして、ここで改めて前述した誘導メカニズムについての説明をしよう。
最も大きな理由は、やはりマーカーのようなシステム的な記号を廃止したおかげである。
その分、画面には余計な情報が表示されないわけだ。
マーカーどころかミニマップすらないので、画面から得られる視覚情報が極めて限定的になる。
つまり、それらのノイズがない分、巨大な建造物などの魅惑的なオブジェクトが、プレイヤーを引き寄せる「魔力」として機能し始めるからである。
これによって、主体性の伴った臨場感をより深く、より現実的に味わうことができるようになったというわけだ。
また、RPGでは当たり前となっている町や村がないという点も、この魔力の効果を大きく増幅させている。
町に着いた時の安堵感の代替えを、不気味なダンジョンを発見した時の「好奇心」が引き受けてくれるからだ。
つまり、我々は安息を奪われたことで、真に「冒険をしている感覚」を得ることに成功したのだ。
本作は基本的にはどこへ行こうと自由だ。
しかし、遠くへ行けば行くほど当然のように危険度は増してくる。
開始直後のアンロックがされていない状態での遠出は、あまりにも非効率であろう。
そこで、ストームヴィル城のような目立つ建造物を、通り道からはっきりと見える位置に設置することで、例え初心者のようなプレイヤーでも、目指すべきシンボルとして認識できるようになる。
これによって、道から大きく外れる心配も少なくなるという、必要最低限の配慮をしていることが理解できるであろう。
勿論、ストームヴィル城を確実に攻略するには、ある程度のレベルと準備が必要にはなるがね。
開始してすぐ近くにエレの教会があるのも配慮ポイントである。
ここでアイテムを購入できるからだ。
とにかく、本作には魅力的なロケーションが多く用意されている。
こっちへ行きたい、いや、あっちにも行ってみたいなどと、プレイヤーの好奇心を常に刺激してくれるのだ。
まさに冒頭で述べた、遠くにマチュ・ピチュが見えてきたので行ってみたい、あるいはサグラダ・ファミリアの中に入ってみたいといった人間の本能的な欲求を、ゲーム内で満たしてくれるわけだ。
マーカーの廃止の他にも、本作にはクエストリストがない。
したがって、プレイヤーによってはいちいち情報をメモしないといけないという、面倒臭い作業を余儀なくされてしまうであろう。
これもマーカー廃止と同様に、自分だけの冒険日誌を脳内に刻んでいくような自主的なシステムであるため、JRPGしかプレイしないようなユーザーにはハードルが高いであろう。
これに関しては、マーカーの廃止と比較すると賛否両論に近い評価を受けているようにも感じられる。
私は賛成派ではあるがね。
これら、マーカーの廃止とクエストリストの廃止は『 The Elder Scrolls III: Morrowind 』のシステムから、強く影響を受けていると言える。
しかし、モロウィンドの方はいくつもの都市があり、NPCも数多くその世界に暮らしている。
その分、対話によって社会的に情報収集を得られるといった楽しみ方を見出せる。
まさに、オープンワールドRPGの魅力そのものとも言えるゲームデザインであるため、これらのシステムとの相性が非常に良い。
本作はどちらかというと、アクションアドベンチャー寄りの属性が強いため、探索的な面白さとプレイヤーの主体性を重視したコンセプトの双方の相性が、必ずしも良いとは言い難い。
したがって、GOTY受賞の決定的な理由にもなった「革新性」については、正直首を傾げてしまうところだ。
悪い言い方をしてしまうと、モロウィンドの二番煎じだからだ。
もっと時代を遡ると、FFVIの時点で既に実現されていた手法である。
これが革新性と言うのなら、ウィッチャー3の「選択による運命の分岐」だって革新性と言えるのではないか?
どうも、GOTYの選考基準の曖昧さが浮き彫りとなってしまっているようだ。
勿論、本作が4大GOTYを獲得した実力そのものには、全く異論はない。
何故なら本作の真価は革新ではなく、モロウィンドをソウルライクの文脈で更新した「洗練」だからである。
話を戻そう。
更にソウルライクの特性上、敵とのバトルがメインとなるので、折角のオープンワールドの醍醐味が戦闘に邪魔されて生かされていないという見方も強い。
例えばゆっくりと散歩をして景色を堪能することが中々できなかったりなどね。
スカイリムと比較してしまうと、道中においてはどうしてもスカスカ感を感じてしまう点も否めない。
あちらは正統派のRPGであるため、ランダムイベントが豊富で、NPCもフィールド上の至る部分に配置されているからだ。
モロウィンドの項でも少し言及したが、それらが常に社会性をベースにしたイベントである故に、空白を動的に埋められるメリットとして機能しているからである。
個人的に最も気になったのは、オープンワールドにしてしまったことで、皮肉にも従来のダークソウルやブラッドボーンで強く味わうことができた、死にゲー特有の「緊張感」が薄れてしまったことかな。
その自由度の高さが逆に仇となり、難問を後回しにできる行動選択肢を幅広く生み出してしまったことで、ソウルライクの旨味そのものが水で薄まったコーラのようになってしまったのが残念な点である。
とはいえ、本作は前述したようにプレイヤーの導き方が非常に上手く、新たなロケーションを発見する度に、湧き上がってくるような探求心を与えてくれた。
正直グラフィック自体はそこまでハイクオリティというわけではないが、ロケーションのデザインが芸術的であり、尚且つエフェクトを十分に生かした演出面などにおいても非常に凝っているので、探索面で飽きがくることはまずない。
ここがやはり大きな評価点だと考えている。
戦闘面では従来のフロム作品と比較すると、やや敵のAIが賢くなっている傾向がある。
モンスターハンター4Gの大型モンスターのような、プレイヤーの入力に反応したいやらしい挙動を見せてくることもしばしばあった。
ここに関しても割と賛否両論の風潮があるようだが、その分、武器を変更し戦技を使い分けることで体感難易度を緩和できたりなど、戦略性の幅は寧ろ広がったと言えるだろう。
ボス戦の付近には還魂碑が設置されていることが多いので、霊体を召喚することで撃破難易度を大きく下げることができる。
ここでも初心者への配慮が顕著に表れている。
これらの要素が重なって、結果的には過去作よりもやや難易度が低くなっていると言えるだろう。
私個人としては、霊馬トレントに乗りながらバトルをするのが好きだった。
スカイリムの馬の性能にほとんどメリットを感じなかったため、トレントに有能感を感じてしまったのだ。
だが、騎乗する時の掛け声くらいはほしかったかな。
断末魔時に声を出してくれても何も嬉しくない。
本作にはこういった細かい部分での不満点が結構多い。
だが、本作が傑作である事実は揺るがない。
ゲーム内の各所に点在する断片を拾い集めて余白を埋めていくといった、主体性の問われる物語の構築プロセスには、もはや芸術的とすら感じてしまった。
それはまさに、古文書を解読する学者のような、あるいは事件現場の遺留品から真相を追う探偵のような体験である。
何より高難度であるが故に、ゲームをやめて現実に戻った時の安堵感が凄まじい。
まるで、実際に戦場を体験してきたかのような覚悟と緊張感が、一気に解かれたかのような感覚を覚えた。
しかし、一度味わってしまったからなのか、何故かまたあの荒廃した世界に戻りたくなってしまう。
きっと、私の中の刺激を求める本能があの幻想的な死地を、まるで「ディズニーリゾート」のように見せていたのだろう。
なぜ死の大地がリゾートに転じるのか?
その理由は、以下の「五芒星」に関係している。
■マーカー廃止により機能した「オブジェクトの魔力」
■クエストリスト廃止による「主体的冒険心の点火」
■現実を凌駕するロケーションの「芸術性」
■死闘の末に掴む戦略的「カタルシス」
■断片から真実を編む「主体的物語構築」
これまで説明してきた、プレイヤーを魅了し縛り付ける体験メカニズムを、箇条書きで纏めたリストである。
この五芒星が人間の内側に潜む、恐怖、不安、高揚、好奇心、探究心といった五つの精神性と共鳴し合うことで、鮮やかな『 プリズム 』に色を変え、それらのエネルギーを蓄積した魔法陣が形成される。
それが、高難度のボス戦をクリアした時の達成感によって増幅され、眩い光となって解き放たれるのだ。
この呪術的なまでに計算された設計によって、過酷な戦場は「陶酔的な非日常」へと昇華される。
その瞬間、私はふと「宮崎英高氏の手の平の上で、極上の美酒をご馳走になっているのだ」と思わされてしまったのだ。
このように、次から次へと狂ったような悪意と未知の快感が、同時に襲いかかってくるようなこの展開はまさに、ピンク・フロイドの超名盤『 狂気 (The Dark Side of the Moon) 』を、最初から最後まで通しで聴いているような『 トータル・コンセプト・ロールプレイング 』とも呼ぶべき、世にも贅沢な一大プログレ体験である。
本作は、国産のRPGでは黄金期のファイナルファンタジーの再来のような絶大な世界的人気と完成度を誇る、世界最高峰のAAAタイトルの一つと言っても過言ではないでしょう。
5位ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち

引用元: Amazon
『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』(ドラゴンクエストセブン エデンのせんしたち)は、2000年(平成12年)8月26日にエニックス(現:スクウェア・エニックス)より発売されたプレイステーション用ゲームソフト。ジャンルはロールプレイングゲーム(RPG)。 2013年2月7日にはニンテンドー3DS版が発売され、2015年9月16日にはAndroid版が配信され、同17日にはiOS版が配信された。
【 創造 】現代のテクノロジーでこそ、完全体を実現できたかもしれない早すぎた名作。
※レビュー文はまだ途中です。
本作の石板集めは予定調和で、物語そのものには変動的な影響を与えないという、悪い意味での一本道である。
最終的な風呂敷の畳み方も非常に粗削りだ。
だが、スタートの時点からグランエスタード以外の全ての地域が封印されているため、そこにはドラクエのシナリオ構築で最も苦手とする政治的、あるいは世界観構築の徹底追求を省略できると言った大きなメリットがある。
したがって、ドラクエでありがちな「息をしていない世界」が欠点にならずに済んでいる点が大きい。
これは見事な弱点克服である。
更に移民システムの自由度が、世界観と合致している点も素晴らしい。
何よりシナリオの密度が非常に濃い。
例えば、からくり兵のエリーのエピソードや、ギュイオンヌ修道院の恋人のエピソードなどを見てもわかる。
過去で起きた出来事 (点) が、数十年あるいは数百年後の現代でどのような無惨な、または皮肉な結果 (線) を招いているのか、といった異なる時間軸を対比させ、テキストですべてを説明せず「変わり果てた (あるいは変わらない) 風景」で語るという、象徴的かつ解釈の自由性を与えるアプローチを示している。
これが本当に見事だ。
これこそが点と線を結びつけた「計算された余白」であり「堀井節の真髄」である。
余計な横の広がりを削った分、縦に深くなっている。
残念ながら本作には、構造的あるいは技術的な限界が顕著に見え隠れしているので、あくまで良作止まりの評価になってしまうが、もし石板システムが世界全体のシナリオを変動的に機能させることができていれば、もしかしたら90点代に名を連ねる名作として、私のランキング内に君臨していたかもしれない。
6位ドラゴンクエストV 天空の花嫁

引用元: Amazon
| ジャンル | RPG |
|---|---|
| 対応機種 | SFC、PS2、DS |
| プレイ人数 | 1人 |
| 対象年齢 | CERO:A(全年齢対象) |
| 発売日 | 1992年9月27日 |
| メーカー | エニックス |
| 公式サイト | https://www.jp.square-enix.com/game/detail/dq5/ |
【 幻惑 】課題の分離。
堀井雄二という稀代のインフルエンサーが、天空から舞い降りて三次元に建造した『 マヌーサ 』工場。
SNSによって「仲間意識の確認作業」が正当化される「いいね機能」のような革新性を示した傑作である。
よく「ドラクエには、成熟した大人にしかわからない深みがある」と言った常套句を目にする。
だが、これは事実ではない。
率直に言い換えてしまえば、まるでボジョレー・ヌーヴォーを高級ワインであるかのように祭り上げる、自称ソムリエにも等しい選民意識の表れである。
そして「ボジョレー解禁!!」などと騒ぎ立てて、周囲に同化しようとするお祭り騒ぎがまさに、ドラクエ界隈特有の聖域の様子 (ドラクエの良さがわからない奴は非国民だ) を的確に比喩してしまっている。
上述したSNSにおける仲間意識の確認作業を、残酷なまでに裏付けてしまっているのだ。
何より、主人公にしかスポットライトを当てることができない視野の狭さが示唆されている。
周りを暗闇で覆ってしまっているからだ。
そして、その暗闇に覆われてしまった外の世界にこそ、広さではなく「密度」が重要である。
だが本作は、その外の世界が全く息をしていない。
それを「敢えて余白を残してある」などと美徳にしてしまうのは、思考の放棄でしかない。
それは、余白ではなく単なる「空白」だからだ。
これが許されるのなら、ドラゴンズドグマやファイナルファンタジーXVだって許されていいはず。
ドラクエだけ許されるのなら、それはただの甘えであろう。
更に切り込むと、その余白や行間の妙とやらは、カラオケマックのドリンク飲み放題と同程度の要素でしかない。
好きなだけおかわり (脳内補完) はできるが、その質はたかが知れている。
つまり、放置された妥協にすぎないということだ。
これを、エルデンリングやファイナルファンタジーXと比較してみれば、尚更それが顕著になる。
(エルデンリングやFFXのレビューもしている。
気が向いたら読むといい)
これらは、完成されたフルコースの料理、あるいは真の高級ワインである「シャトー・ムートン・ロートシルト」だからこそ、プレイヤーを能動的に誘導できる「設計された余白」として機能している。
人間とは完成された芸術を、更に追求しようとする性質がある。
このような探究心、あるいは感情を、作り込まれた土台の上で合理的に突いているからである。
一方で、本作の脳内補完とやらにはその美学がない。
臭いものには蓋をし、仕方なくその分をさも一級品であるかのように、都合良く補っているだけである。
読み上げるためだけのテキストを提示され、それを『 情緒 』といった都合の良い言葉を盾に「感動しました」などと並べ立てる。
そこには果たして、主体性の伴った体験の密度が備わっていたのだろうか?
真に心を揺さぶる物語とは、ゲームそのものの構造とシナリオによる情緒が合致した体験を経て、初めて得られるものではなかろうか。
確かに本作のレベル上げ (苦行) にも、その疲れを情緒的なシナリオで癒すというゲーム体験に基づいてはいるが、これって言い換えれば煙草と同じだからね?
イライラをニコチンで誤魔化す行為と同じである。
あるいは対価を得るには、自分軸を失ってでも苦労を伴うべきといった、昭和時代の古い価値観が未だに根付いているとさえ思えてしまう。
レベル上げ (職場) → 疲れたよ (残業疲れ) → ご褒美の情緒 (缶ビール) → 明日があるさ (やる気アップのマヌーサ) → 満員電車 (現実) → レベル上げ (ふりだしに戻る) といった、この不毛な作業を繰り返すだけの虚無には、上述した構造と情緒による高度な融合性など見られない。
ゲームにまで社畜プレイを求めるバイタリティには感心するけどね。
そもそも、それが本当に心の底から突き上げてきた感情であるのなら「感動しました」などと言った安易な言葉など、まず出てこないはずでは?
これはまあ、本作に限った話ではないがね。
ちょこまかと動くキャラクターやテキストだけを見て感動したというのなら、それこそ映画やアニメでも観ていた方がマシであろう。
そこに、自身の人生を投影して脳内補完する行為は、決して間違いではないが、ゲーム本来のシナリオとしての深みとは全く関係ない。
それをいいことに「FFはオタク向け、中二病」「フロムゲーのシナリオには深みがない」などと、根拠のない批判をする者をよく見かけるが、それは単なるコンプレックスの裏返しである。
例えばスーパーマリオブラザーズには、情緒による誤魔化しなどほとんどない。
体験の密度 (構造の完成度) だけで全世界を制している。
これこそが、優れたゲームの本質である。
本作を、同じく90年代を席巻した『 ファイナルファンタジーVI 』と比較した場合でも、その作り込みのレベルの違いが、絶望的なまでに浮き彫りとされてしまうであろう。
NPCの作り込みから設定に至るまで、同じスーパーファミコンの作品とは思えないほどの雲泥の差がある。
一方で本作は、光の教団が猛威を振るっているにも関わらず、世界全体の危機感を全く感じられない。
これらの作り込みの放棄に対しても、脳内補完で埋めるというのは、さすがに無理がある。
それでも敢えて、本作の計算された余白を挙げるなら、8年後の廃墟と化したサンタローズの村を目にした時、人それぞれ感じ方、捉え方が変わることくらいだろう。
しかし、これはFFVIの崩壊後の世界で、滅びたモブリズの村や炭鉱都市ナルシェに立ち寄った時も、同じことが言える。
ドラクエだけの専売特許ではなく、大作なら割と当たり前の手法だ。
FFVIの方は、その時代の突出度を考慮するとあのエルデンリングやウィッチャー3をも上回る、圧倒的な完成度を示していた。
世界に名を轟かすこれらの作品は、どれも体験の密度が異様に高いという絶対的な共通点がある。
したがって「英語に翻訳されると堀井節の魅力が伝わらないから」は、海外で売れない理由の言い訳にはならない。
だが、唯一評価すべき密度があるとするなら、仲間モンスターシステムであろう。
本来ならただの敵でしかなかったモンスターに対し、確率という名の運命を介して「個」としての意味を与えるこのシステムは、後のポケモンすら先取りした極めて革新的なアイデアである。
彼らが自分の意志を持つ仲間へと昇華される瞬間、そこには確かにプレイヤーの想像力に委ねられる物語への肉付けという点においての、余白を生み出すことが可能だった。
だが、皮肉なのは、このシステムがもたらす自由度や多様性が、結局は親子三代の物語という強固なレールの影に隠れてしまったこと。
最高級のお野菜 (システム) を用意しながら、凡庸なレシピ (シナリオ) で炒めてしまったわけだ。
早く炒めすぎた (先取りした) のが仇となって、見るも無惨なまっくろくろすけなお野菜になってしまったというね。
その宝の持ち腐れ感が、本作における代表的な空白の一つと言わざるを得ない。
以上のことから、本作の全体的な特徴を、浅瀬が延々と広がる「極彩色の海面」であると定義する。
それは裏を返せば、掘る場所がないほどの完成度の高さとも言えるが、そこにはマリアナ海溝のような深みがない。
そこに残っているのは、情緒のバリエーション (極彩色) を目にして、それを深みだと勘違いしているSNS社会の風潮そのものである。
それらの要素と後述の言及点を統合し、最終的に58点をつけさせて頂いた。
さて、本作の最も印象に残るイベントと言えば、やはり「結婚式」であろう。
どこぞの知らないおじさんに、幼馴染みのビアンカとの結婚まで主導権を握られ、挙げ句の果てには炎のリングと水のリングを命がけで取ってこいと言われる、とても斬新なイベントである。
あの、元祖西遊記スーパーモンキー大冒険もビックリの理不尽さに笑ってしまったりもするが、まあここはバグとして片付けてしまってもいいだろう。
そんな「ドッキリでしたー!!」のような展開にも目を瞑って進めるとしたら、例えば私なら「ビアンカが可哀想!彼女を選ばないなんて人としておかしい!フローラなんて必要ない!」などと言った感情論には便乗しない。
そのような不毛な派閥や選民意識こそが、上述した『 マヌーサ 』工場の量産型において他ならないからだ。
そもそも、フローラ派のユーザーに対して、非常に失礼な行為である。
重要なのは、本作の少ないリソースを駆使して、どれだけ「自分だけの物語」を生み出せるかだ。
ビアンカには「過去」を見て、フローラには「未来」を見る。
その上で、どちらを選択するかを己の思考に委ねる。
そうして得た決断は、正真正銘の自分軸となる。
それこそが、真のRPGではないだろうか?
「ビアンカが可哀想だから彼女を選んだ」
これは本当に愛なのか?
もしそれを理由に彼女を選ぶのなら、それは愛ではなく、自分を満たしたいだけのエゴにすぎない。
ビアンカ本人に対しても失礼である。
可哀想などと言っている時点で、彼女を自分と対等な一人の女性としてではなく、保護されるべき迷える子羊に格下げしているからだ。
本作を、もうひとつの人生として本当に大事にしているのなら、例えゲームであろうとケジメをつけるべきだと思う。
だが本作は、上述したようにそれらを彩るリソースが総合的に足りなさすぎた。
(パパスの無責任 & 計画性のなさとか)
まるで、耐震設計が放棄された外観だけ美しい館のようである。
したがって、この点数で妥協するしかなかったのだ。
ただ、堀井雄二氏は尊敬している。
彼は、前述でも比較対象として挙げたファイナルファンタジーXを「FFの究極の完成形である」と定義づけた。
それは即ち、同じ多くのクリエイターでさえもFFXの一本道を批判する中で、唯一ゲームとしてのその構造と仕掛けの妙が、人々の感情を激しく揺さぶる情緒に対して、見事に連動している点を見抜いていたからこその裏付けである。
彼は過去にも「FFは触れる映画」と評している。
皆が「FFは映画みたいだ。こんなのゲームじゃない」と酷評している中、たった一言でFFの構造的本質を見抜いていた。
クリエイターとして、そして人としての視野の広さとその圧倒的な審美眼に敬意を抱いているのだ。
しかし、本作ではその才能が生かされていないと私は感じてしまった。
その原因は、やはり「美しい白鳥」が、いつまでも「醜いアヒルの子」を求める世論によって、がんじがらめにされているという点だ。
まるで進化を拒む村社会、あるいは上京して垢抜けた仲間に対して裏切りと断じているような、強烈な地元意識が根付いているようだ。
皮肉にもその真の才能が、呪縛から解き放たれて製作されたクロノ・トリガーに顕著に表れていた。
クロノ・トリガーは、世界中で愛されている作品である。
ようするにこれは、本来の堀井雄二氏にはワールドワイドで活躍できる実力が備わっている、という証明となっているのだ。
現在では、スクウェアとエニックスは合併してから共に歩み続けている。
あまり縛りつけてしまうと、彼はそのうちドラクエの開発をやめて、FFの開発に注力してしまうかもしれないよ?
その可能性も決して0とは言えないだろう。
まさに、日本で最も愛 (哀) されたクリエイターである。
彼が再び世界で羽ばたける日が来ることを願うばかりだ。
さてと、パパスの最愛の妻『 マヌーサ 』にでも会いに行くか。
7位ファイナルソード
【 無 】わたしは ファイナルソード すべての批判 すべての盗作疑惑 すべての著作権問題を消し そして わたしはここに居座ろう 永遠に!!
■ビッグブリッジ / ファイナルファンタジーV
■スパイダー・デイドラ / The Elder Scrolls IV: Oblivion
■マップデザイン / ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド
これらのアセットを、接着剤で適当にくっつけただけの『 ネオエクスデス 』
以下は私がプレイしたゲームにおける、オールタイム・ベスト30のゲームタイトルである (オンライン専用やリメイク版などは除く)
95.0以上 神作
90.0~94.8 傑作
75.0~89.8 良作
40.0~74.8 凡作
15.0~39.8 駄作
15.0未満 クソゲー
1位:The Elder Scrolls V: Skyrim (PC版) [アメリカ] 点数 99.8
2位:ファイナルファンタジーVI [日本] 点数 97.0
2位:メタルギア ソリッド3 スネークイーター [日本] 点数 97.0
4位:The Witcher 3: Wild Hunt [ポーランド] 点数 95.8
5位:ファイナルファンタジーX [日本] 点数 94.8
5位:DARK SOULS [日本] 点数 94.8
7位:The Elder Scrolls IV: Oblivion [アメリカ] 点数 94.4
8位:Fallout 3 [アメリカ] 点数 94.0
9位:メタルギア ソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット [日本] 点数 93.4
10位:The Elder Scrolls III: Morrowind [アメリカ] 点数 93.0
11位:ファイナルファンタジーXII [日本] 点数 92.8
12位:ドラゴンズドグマ:ダークアリズン [日本] 点数 92.6
12位:メタルギア ソリッド [日本] 点数 92.6
14位:Bloodborne [日本] 点数 92.4
14位:悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲 [日本] 点数 92.4
16位:ELDEN RING [日本] 点数 92.0
17位:ファイナルファンタジーVIII [日本] 点数 91.6
18位:Baldur's Gate 3 [アメリカ] 点数 91.4
18位:Grand Theft Auto V [アメリカ] 点数 91.4
20位:メタルギア ソリッド2 サンズ・オブ・リバティ [日本] 点数 91.2
21位:ファイナルファンタジーV [日本] 点数 91.0
22位:Grand Theft Auto: San Andreas [アメリカ] 点数 90.6
23位:ファイナルファンタジーIX [日本] 点数 90.4
24位:モンスターハンター4G [日本] 点数 90.2
25位:ファイナルファンタジーVII [日本] 点数 90.0
25位:モンスターハンターダブルクロス [日本] 点数 90.0
27位:グランツーリスモ3 A-spec [日本] 点数 89.8
28位:仁王2 [日本] 点数 89.4
29位:モンスターハンター3G [日本] 点数 89.0
29位:ゼルダの伝説 時のオカリナ [日本] 点数 89.0
メタルギアやGTA、モンハン、グランツーリスモ、ゼルダを除けば全てRPGだが、これらは私の中でも歴代ゲームベスト30の名作。
ベスト30以降もブレワイやMHWIB、MHR、ロマサガ2、パラサイト・イヴと言った作品が名を連ねている。
本作は、クソゲーというよりは駄作の領域である。
しかし、僅かにクソゲー寄りなので、細かく点数をつけるなら 14.8 と言ったところであろう。
したがって、四捨五入して15点とする。
名作と名高いレッド・デッド・リデンプション2やザ・ラスト・オブ・アス、フォールアウト4、セキロ:シャドウズ ダイ トゥワイスと言った作品はまだプレイしていないため、これらは現在において最も気になっているタイトル群である。
8位元祖西遊記スーパーモンキー大冒険

引用元: Amazon
| ジャンル | アクションRPG |
|---|---|
| 対応機種 | FC |
| 発売日 | 1986年11月21日 |
| メーカー | バップ |
| 公式サイト | - |
【 虚無 】人生をやり直せるはずだった。
「なんて広い世界だ!」
本作を始めた私の第一声である。
そして、ある時に悟った。
「これは、精神と時の部屋だ」
部屋から出たら、強烈な頭痛に襲われた。
語彙を失い、知性までもがみるみるうちに退化していくようだ。
気がつけば、私は赤子の姿となってベビーベッドに寝かされ、おしゃぶりを咥えていた。
何故か、パッケージに描かれた猿のぬいぐるみを抱きながら・・・。
どうやらこの世界線の精神と時の部屋では、時計の針が逆回転していたようだ。
赤子の姿にされた私は「1」歳児まで戻されてしまった。
なので、本作の点数もとりあえず「1」点にしておこう。
しかし、このままでは終われない。
赤子まで戻れたなら、寧ろ人生をやり直すチャンスでもある。
私は心の中で再起を誓った。
傍らに佇む猿のぬいぐるみの、黒目に覆われた大きな瞳だけが、私を見つめ続ける最後の目撃者となった・・・。
以下は私がプレイしたゲームにおける、オールタイム・ベスト30のゲームタイトルである (オンライン専用やリメイク版などは除く)
95.0以上 神作
90.0~94.8 傑作
75.0~89.8 良作
40.0~74.8 凡作
15.0~39.8 駄作
15.0未満 クソゲー
1位:The Elder Scrolls V: Skyrim (PC版) [アメリカ] 点数 99.8
2位:ファイナルファンタジーVI [日本] 点数 97.0
2位:メタルギア ソリッド3 スネークイーター [日本] 点数 97.0
4位:The Witcher 3: Wild Hunt [ポーランド] 点数 95.8
5位:ファイナルファンタジーX [日本] 点数 94.8
5位:DARK SOULS [日本] 点数 94.8
7位:The Elder Scrolls IV: Oblivion [アメリカ] 点数 94.4
8位:Fallout 3 [アメリカ] 点数 94.0
9位:メタルギア ソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット [日本] 点数 93.4
10位:The Elder Scrolls III: Morrowind [アメリカ] 点数 93.0
11位:ファイナルファンタジーXII [日本] 点数 92.8
12位:ドラゴンズドグマ:ダークアリズン [日本] 点数 92.6
12位:メタルギア ソリッド [日本] 点数 92.6
14位:Bloodborne [日本] 点数 92.4
14位:悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲 [日本] 点数 92.4
16位:ELDEN RING [日本] 点数 92.0
17位:ファイナルファンタジーVIII [日本] 点数 91.6
18位:Baldur's Gate 3 [アメリカ] 点数 91.4
18位:Grand Theft Auto V [アメリカ] 点数 91.4
20位:メタルギア ソリッド2 サンズ・オブ・リバティ [日本] 点数 91.2
21位:ファイナルファンタジーV [日本] 点数 91.0
22位:Grand Theft Auto: San Andreas [アメリカ] 点数 90.6
23位:ファイナルファンタジーIX [日本] 点数 90.4
24位:モンスターハンター4G [日本] 点数 90.2
25位:ファイナルファンタジーVII [日本] 点数 90.0
25位:モンスターハンターダブルクロス [日本] 点数 90.0
27位:グランツーリスモ3 A-spec [日本] 点数 89.8
28位:仁王2 [日本] 点数 89.4
29位:モンスターハンター3G [日本] 点数 89.0
29位:ゼルダの伝説 時のオカリナ [日本] 点数 89.0
メタルギアやGTA、モンハン、グランツーリスモ、ゼルダを除けば全てRPGだが、これらは私の中でも歴代ゲームベスト30の名作。
ベスト30以降もブレワイやMHWIB、MHR、ロマサガ2、パラサイト・イヴと言った作品が名を連ねている。
しかし、本作は間違いなく私の中で最下位 (恐らく300位以降) に位置するゲームである。
本作の点数は、本当は『 虚無 』に合わせて0点にしたかったが、どうやら1点未満の点数をつけることは「作品の多様性が考慮された結果」許されないらしい。
仕方ないのでこの点数で妥協しておく。
細かく採点すると 1.2 である。
名作と名高いレッド・デッド・リデンプション2やザ・ラスト・オブ・アス、フォールアウト4、バルダーズ・ゲート3、セキロ:シャドウズ ダイ トゥワイスと言った作品はまだプレイしていないため、これらは現在において最も気になっているタイトル群である。
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【 四次元 】これを超えるゲームがそのうち現れるとすれば、それは完成されたVRの空間において、全てのNPCにAIが搭載された「近未来のシミュレーション型」のみであろう。
本作は、広大なオープンワールドを舞台とした、限りなく自由度の高いアメリカ産の本格的な大作アクションRPGである。
その世界売上本数はなんと6000万本を超えているという、歴史上世界で最も売れたRPGである。
あの『 ファイナルファンタジーVII 』の4倍近くも売れているのだ。
勿論、その売上数に比例して作り込みも尋常ではなく、評価も非常に高い。
史上初の4大GOTYを獲得したタイトルでもあるのだから、その大作感が容易に想像できることであろう。
PC版だけでなくCS版もしっかりと発売されているので、PS4やXbox One、Switchなどでもプレイ可能だ。
本作の最大の特徴と言えば、とにかく自由度が高いことである。
世界を破滅に導こうと企む邪悪の化身を打ち倒し、伝説の英雄としてロールプレイするのもあり、あるいは魔法大学で呪文を極める修行の日々を送るのもあり、それどころか盗賊となって盗みに励んだり、暗殺者となって罪もないNPCを殺害しまくる極悪人として生きることさえ可能なのだ。
その他、無理やり鍵をこじ開けて民家に不法侵入したり、落ちているお金や食べ物、装備品などを自由に拾ったり盗んだりすることも可能だし、何なら下着泥棒にだってなれる。
つまり、何をするにしても自由なのだ。
勿論、衛兵に見つかれば牢屋にぶちこまれるけどね (笑)
でも、その衛兵さえも武器で殴り付けて返り討ちにすることだってできる。
何度も捕まりながらも脱獄の達人として生きるのも面白いかもしれない。
ゲームを始める前にどのようにロールプレイするかを予め決めておくといいかもね。
オープニングが始まるとこのシリーズの定番でもある囚人からのスタートとなるが、ゲーム開始直後の脱出イベントが終われば、いきなり世界中 (広大なオープンワールド全域) を歩き回ることだってできるのだ。
クエストを進める順序にもJRPGのような縛りなど一切ない。
いつでも好きなタイミングでメインクエストおよび、世界中に散らばるサイドクエストの数々を堪能できるというわけだ。
だがその自由度の高さ故に、決められた順序で作業をこなしていく親切なJRPGに慣れてしまったユーザーからすれば「何をすればいいかわからない」といった事態に陥ってしまうことも少なくないであろう。
しかし、そこまで深く考える必要はない。
もしそのような事態に陥ってしまった時こそ、自分の気持ちに正直になろう。
どうすればいいか、ではなく「何をしたいか」といった発想に切り替えること。
本作を最大限に楽しむには、プログラムされたゲームシステムからの指示を待つのではなく、自身の欲求に忠実に従えるかどうかが鍵である。
それでもなお、何をしていいかわからないのなら、とりあえず町のNPCに片っ端から声をかけてみるといい。
何かしらのサイドクエストが発生する可能性が高いので、それらをこなしていくうちに徐々に流れを掴めるはずだ。
慣れてきた頃にはきっと、本作の圧倒的な面白さの虜になるであろう。
さて、自由度の高さについては上述の説明で、ある程度はイメージできたと思う。
しかし、本作の魅力は何も自由度の高さだけではない。
NPCの挙動、およびAI Packageによるタイムテーブルの設定が、尋常じゃないレベルで作り込まれているのだ。
まるで命でも吹き込まれているかのような、リアルな生活感を目にすることができるであろう。
例えば、NPCのAさんは朝10時になると市場で果物を売り始め、夜になれば1時間だけ宿屋で食事をしてから家に帰って就寝する。
一方で、NPCのBさんは土曜日の昼になると荷物を届けるために隣町に移動し、日曜日の朝には再び元の町に戻ってくるといった感じで、NPC一人一人に詳細な設定が施されている。
ダイアログも豊富で、選択肢によってはシナリオの結末やそのNPCの行動サイクルが大きく変化したりなど、JRPGにありがちな「いいえ」を選んでも無限ループするだけの手抜きの選択肢とはわけが違う。
こういった芸の細かさも、本作がプレイヤーの自主性を大いに尊重してくれている何よりの証なのだ。
また、書物を読み漁ることで、このシリーズの舞台であるタムリエル大陸の歴史を学ぶこともできるので、世界観の奥深さを知るにはこの上なくうってつけのコンテンツである。
しかし、同時に無視できない深刻な欠点も存在する。
それは「バグが信じられないほどに多い」という点である。
中には進行不能にまで陥るバグも存在しているとのこと。
幸い、現在ではCS版でもバグを回避できるパッチが配布されているらしいが、恐らくMODによる解決策だと思われるので、初心者には割と敷居が高いかもしれない。
PC版と比較すると数や種類は圧倒的に少ないものの、現在ではCS版でもいくつかのMODを使用できる環境が整いつつあるようだ。
MODと言われても何のことかわからない人もいると思うので、これについては後述する。
他にも、カプコンやフロム・ソフトウェアの作品のような、秀逸かつ奥の深いアクション性に慣れすぎてしまったユーザーからすれば、本作の戦闘アクションはあまりにももっさりとしていて、その上単調なのであまり面白さを感じることができない恐れがある。
そもそもがFPS視点をメインコンセプトとした戦闘システムであるため、洋ゲーのプレイ経験が浅いとその魅力を理解することすら困難かもしれないのだ。
慣れてくれば本作の戦闘にも味があることを理解できるようになってくるものの、そこまで辿り着くのに時間と経験が必要となってくるので、それが非常にネックである。
まだある。
ポリコレ絡みの影響で、キャラの造形があまりにも酷い点が挙げられる。
本作は最初の一回のみ自由にキャラクリをすることができるが、なんせ元の素材が酷いので、どんなに頑張っても美男美女を作成することは不可能に近い。
NPCもそのほとんどが、まるでアメコミのキャラクターをリアル風に置き換えたかのような造形なので、見るものを悉く戦慄させてしまうのだ。
昨今のFFのような美男美女だらけの世界には違和感を覚えるが、化物だらけのスカイリムの世界にも大いなる不自然さを感じてしまうこと間違いなし。
スカイリムは北欧をモデルとした舞台ではあるが、あそこまで酷いと北欧人に対する冒涜とすら思えてしまうほどだ。
現実の北欧人には美男美女も多いのにね。
このようにCS版のスカイリムはゲームとして、RPGとして圧倒的な面白さを堪能できる一方で、欠点も非常に多いという癖の強い仕上がりとなっているため、プレイできる人は間違いなく限られてくるであろう。
だが、しかし!
これがPC版となると話は大きく変わってくる。
私が地球史上最高のRPGとして評価しているのは、PC版のスカイリムの方なのだ。
結論から述べてしまうと、CS版のスカイリムとPC版のスカイリムでは、もはや別ゲーと言っても過言ではない。
その面白さは異次元のレベルに到達していると断言しよう。
これを体験してから私は、その他の全てのゲームをプレイする気力を奪われてしまったのだ。
それは一体何故なのか?
その理由が上述したMODの存在によるものである。
まずMODとは何か?
簡単に言ってしまえば、スカイリムそのものを改造できる外部データである。
こう言ってしまうと違法のように思えてしまうかもしれないが、本作の場合は違法ではない。
寧ろ本作の開発メーカーであるベセスダ・ソフトワークスがMODの使用を推進しているほどだ。
ベセスダ自体が「プレイヤーがその世界に自由に干渉できるのがRPGの本来のあるべき形である」といったスタンスなので、寧ろ非公式でありながらもほぼ公式と言えるレベルのコンテンツでもあるのだ。
つまり、DLCの一種であると捉えても良い。
しかもほとんどは無料である。
前述したように、MODはCS版でもある程度は使用できるが、種類が極端に少なく、ゲームプレイを大きく進化させるような大規模なMODは用意されていない。
しかし、これがPC版だと圧倒的かつ大規模なMODがよりどりみどりなので、あの東京ディズニーリゾートもビックリの夢の世界を構築することが可能となるのだ。
ここまで読めば、具体的にどのようなMODがあるのか気になることであろう。
とりあえず一言で言ってしまえば、ドラえもんの『 四次元 』ポケットである。
あるいは、CS版のスカイリムをベースに、RPGツクールの超上位互換機能を搭載したような何かである。
以下では、Q&A形式で具体例をいくつか挙げてみよう。
Q:町を大きく拡張できますか?
A:勿論できます。
Q:スカイリムの醜いキャラを美男美女にできますか?
A:余裕です。
FFやTeam NINJAのキャラのように美化できます。
Q:グラフィックの質を現代レベルにまで引き上げることはできますか?
A:そんなものは朝飯前です。
Q:アクションの質を引き上げることはできますか?
A:勿論です。
DMCやモンハンなど、あらゆるゲームのアクション性を実現することが可能です。
Q:女性NPCを裸にして、自分の男キャラとセクロスさせたいのですが。
A:それも可能ですよ。
Grokのような誰得規制は一切ありません。
(ただし、幼女とちょめちょめだけはやめた方がいいです。アメリカはロリコンに厳しいです)
Q:ゲーム内のBGMを変更したいです。
A:当然できますよ。
Q:ブレワイのような空を飛べるパラセールがほしいです。
A:はい、どうぞ。
何なら飛空艇も差し上げましょうか?
Q:TESシリーズの歴史の中でも、今まで一度も訪れることができなかった東洋の大陸「アカヴィル」に行ってみたいです。
A:勿論行けますよ。
アカヴィルを舞台にした大規模なクエストMODがあります。
まるで厳島神社や京都の文化財のような、和の魅力をたっぷりと堪能できます。
以上のように、何でもできてしまうのですよ。
中でも『 CHIM 』というMODが、まさに革命と言えるものでね。
なんとスカイリムに存在する全てのNPCをAI化し、キーボードを使ってテキスト入力することで会話ができてしまうという、とんでもない代物である。
世界中の大手ゲームメーカーでさえ、そのほとんどがまだ実装していない近未来的システムを、スカイリムの天才モッダーさんが先駆けて開発してしまったわけだ。
例えばNPCに「お前は本当に出来損ないだな」と声をかけると、顔を赤らめて怒鳴り散らしてきたりなど、ゲームの中であるにも関わらず本物の人間と会話をしているような感覚になるのだ。
PC版のスカイリムにはキャンプMODもあるので、それを組み合わせるとまさに「旅行のリアルな擬似体験」が可能になるというわけだ。
仲間キャラ達がまるで本物の旅行仲間のように、キャンプ先で無邪気にはしゃぐ姿を見ていると、思わず愛らしさを感じてしまうほどである。
私の場合に至っては、現在だとキャラクターを美化するMODや、AI PackageのアレンジMOD、町の改変MODなど、これくらいなら自作できるようになった。
ここまで来ればどんなゲームをプレイする時も、まるで『 四次元 』空間から下界を見下ろす『 観測者 』のような視座になるであろう。
今ではゲームをプレイするよりも、MODを作ることが楽しくなっているほどである。
さて、スカイリムに関してはまだまだ言及したいことがたくさんあるが、さすがに本一冊程度では足りないほどの文章量になってしまうため、ここで終わりにするとしよう。
本作は数式を全て把握し、点を線で結んで立体化させたあらゆる事象に、スクリプトを走らせることができる『 宇宙の管理者 』が手に入れた、真の自由の追体験記である。
プレイをすればきっと「この世にはこんなに凄いRPGがあったのか!」と驚愕することになるでしょう。
MODによって、時代すらも超越できる権利を得るのだから。