【投票結果 1位~161位】戦国武将・大名最強ランキング!最も強い武将は?



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みんなの投票で「戦国武将・大名最強ランキング」を決定!無敗を誇った武闘派の戦国武将や、危機的状況を策で乗り越えた頭脳派の戦国大名など、戦国時代には日本史を代表する強者たちが綺羅星のごとく存在します。第六天魔王と呼ばれ恐れられた「織田信長」を筆頭に、勇猛果敢な越後の龍「上杉謙信」や、織田信長ですら戦いを避けた「武田信玄」、戦国屈指の策略家「毛利元就」など、数多くの戦国武将&大名が誕生しました。あなたが戦国最強だと考える武将や大名に投票してください。
最終更新日: 2025/09/03
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ランキングの順位について
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44位前田慶次
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心たくましく猛将たり!
組外衆の筆頭になり従軍し、共に従軍したと思われる配下の野崎から「心たくましく猛将」と評された。
上杉の猛将安田能元と親交があり、詩歌会(亀岡)での同席や二人の仲の良さが伝わる二人の連歌が残る。相通じるものがあり、互いに文武を認め合う仲だったと思われる。
能元との親交や野崎の証言を考えれば、上杉は慶次の武勇を評価して筆頭にしたかもしれない。
自身の連歌会に細川幽斎を招く事が出来、直江兼続から本を借りていたり、兼続と同好の士になる事が出来る教養の持ち主
実は、戦国武将の武勇伝を集めた武辺咄聞書でクローズアップされていて、江戸時代では有名な武辺者の一人です。[続きを読む]
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事務が得意な優秀な人材
信長の家臣で優秀。秀吉の名字の成り立ちにもなった。
観音寺城の戦いなどで戦の強さはもちろん、安土城の築城計画など政治面でも活躍。米の五郎左としての価値がある。
事務が得意な信長の優秀家臣。
武力もまあまああり、観音寺城の戦いで活躍し、武力も優れていますが、評価したいのは計画を成し遂げることが得意なことです。安土城の築城を進めるなど、政治的な面で優れています。秀吉から123万石もの領地を与えられています。
報告46位浅井長政
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48位高橋紹運
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新着・注目
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49位雑賀孫市
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戦国時代のもう一人の異端児
戦国時代に実在した傭兵部隊の隊長で鉄砲の名手で色々な戦いで活躍しています。当時ではめずらしく鉄砲を主体にした部隊を持っていて秀吉に使える前には信長とも戦ってかなり苦戦をさせるほど戦上手だったようです。傭兵部隊、鉄砲と戦国時代では珍しく信長にも劣らない異端児だと思いました。
報告最強の鉄砲軍団のリーダー
雑賀孫市は、圧倒的すぎる戦強さを持っています。第一次雑賀合戦では、2000の軍で10万の織田軍と対決し、障害物をあらかじめ橋に仕掛けて馬の脚を取り、鉄砲で撃つというゲリラ戦法で圧勝しました。
第二次雑賀合戦でも8万の織田軍と戦い、圧勝しています。
第三次雑賀合戦では10万の豊臣軍と対決し、流石にこの時は負けましたが、豊臣軍は2万の死者を出しています。
超強い鉄砲集団のトップ
雑賀衆の鉄砲の腕前は2000の兵で100000の大軍の信長軍に大勝利したほどでした。
諦めずに戦っていたら信長の勢力は衰えて秀吉も直ぐには天下統一できなかったと思います。
50位北条氏綱
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黎明期の伝説無双
黎明期で北条氏綱に勝てる武将はいないと思います。
黎明期の評価に傾いてしまうのでこの順位ですが、生まれる時代がもう少し遅くて、その環境に適応していれば、さらに上位も狙えたかもしれません。そのことを如実に証明しているのが今川義元との戦いです。義元は北条家との友好路線から武田家との友好路線に切り替えていきました。それに氏綱が怒り、戦いが始まるのですが、氏綱は義元に勝利して領地の一部を略奪することに成功し、さらに助けに入った武田氏や扇谷上杉氏にも勝利しました。このことから、いかに氏綱が強いのかわかると思います。
よって、黎明期最強の武将は北条氏綱だと思います。
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山本勘助を超える!?武田氏最強の武将
武田信玄の重臣で武田信玄の四宿老と呼ばれた人物です。
あれほど多くの戦いに参加しながら、長篠の合戦で戦死するまで一カ所の手傷も負っていない。これはまさしく強い戦国武将と言えるでしょう。馬場信春は戦略を改良した非常に有能であると考えます。彼の功績の中ですごいものを二つあげると「押し太鼓」と「鬨の声」の改良です。
「押し太鼓」とは、戦場で自軍に対して前進や停止を伝えるために鳴らされる太鼓です。馬場信春は「押し太鼓」を使って9つの動きができるように改良したのです。
まず、「押し太鼓」を、前進を伝える「寄せ」、隊列を正す「序」、部隊を移動さ[続きを読む]
武田最強
武田四天王の中でも最強なのが信春。
長篠の戦いでは竹だけを守るために勝頼に軍を引き上げるように提案したが勝頼は聞き入れなかった。
それでも、昌景のように死を覚悟して必死の突撃を繰り返した。
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奥州の大名
奥州の大名として名を馳せ、伊達の次の名門と呼ばれる武将。しかし、実力的には伊達の上を行っているとんでもない武将です。近隣の戦国大名との関係性が非常に強く、それを利用し、同盟を結ぶことで後ろを守るなどの大きなアドバンテージを持っています。それ故に、家臣からも慕われ、人望が厚い人物でもあるのです。しかし、彼の本質は謀略の天才。北条早雲タイプですね。上山城の戦いで、城主の上山満兼の重臣である里見義近と里見民部を謀反に導き、満兼を討伐させることに成功。さらには、大宝寺義氏と戦った尾浦城の変でも、重臣の東禅寺義長を謀反に導き、義氏を討伐。その後[続きを読む]
報告奥州の実力者
最上義光は謀略、統率、武勇においての能力が非常に高く、かなり有能な武将だと思います。
戦では謀略を生かして勝利したり、白鳥長久に関しては暗殺という手段で戦うことすらせずに勝利してしまいました。
そこで思いました。勿論戦いにおける武勇や戦術眼、駆け引きは重要なものですが、本当に強い武将は戦いすら起こさないのだと。
戦いを起こせば、当然多くの兵士達が死亡し、自分も損害を被ることになる。だから極力戦いを起こさずに勝つ、もしくは戦いが起きたとしても謀略でまともに戦うことすら許さず勝つことが重要だと思います。それでいて武勇も優れているのが義光で[続きを読む]
鮭一筋
最上義光は鮭が好きな武将として知られています。
戦では庄内の大宝寺氏、陸奥の伊達氏、越後の上杉氏と争っていました。
ま、庄内が欲しい理由は鮭のためなんだけどね。
まぁ誰よりも強いことは絶対絶対絶対絶対変わらない。
だって伊達より強いもん。
なんちゃって
歴史マニア(中1)なぜ50点なんだ。
ゲスト1なぜ伊達の次なんだ。
10000000000000000000000000000000点でもいいぐらいなのに。
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56位明智光秀
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61位
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猛将としての道を歩む武将
黒田長政は物事を考える前に行動してしまうところがあり、猛将としての道は歩めますが軍師としては厳しい。
でも、九州平定の時に敵を誘き寄せて一気に攻撃をする時は活躍しており、強いと思います。それに、秀吉に、無謀な勝てない戦に連れて行かれた時にも、蔚山城の加藤清正を救うという活躍を見せました。
ゲスト9さん
7位(82点)の評価
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ゲスト9さん
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人柄が良い
関ヶ原の戦いにて、清州城にいた先鋒隊が家康の出陣を待ちかねて起こっているとき、長政が怒れる先鋒隊に丁寧に声をかけ、現場の空気を変えた!
YUPONの剣力さん
19位(85点)の評価