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1位徳川家康
2位上杉謙信
3位伊達政宗
4位本多忠勝
5位北条氏康
関東の雄
氏康は見事な騙し討ち作戦と夜襲攻め作戦を合わせて上杉の大軍に大勝利した。
上杉・武田などと強力な大名と複雑な関係を結んでいたが、関東に攻めてきたときはすぐに撃退させた。政治も安定しており、関東の雄。
6位毛利元就
7位真田昌幸
真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像としてよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。他にもお初という織田信長の使いに入った真田の子という説もある
9位長宗我部元親
10位酒井忠次
11位井伊直政
11位丹羽長秀
12位馬場信春
12位小早川隆景
毛利の両川
隆景は毛利の軍師と言いたいぐらいの頭脳的な力を持っている。
毛利の身を守るため、すぐに秀吉に降伏して反発する吉川元春を止めるなど、頭脳的な活躍をした。
厳島の戦いでは陶軍に圧勝した。
隆景は元春と並ぶほど強い毛利の家臣。
13位武田信玄
13位山県昌景
13位立花宗茂
13位雑賀孫市
14位島津家久
14位鍋島直茂
竹中並みの頭の良さ
今山の戦いでは宴会中の大友軍を夜襲で襲うという頭脳的能力を発揮した。
また、怠け始める龍造寺隆信に厳しく注意をするということから、下克上の生き方を知っている人だということもわかる。
15位島津義弘
15位北条早雲
15位加藤清正
15位大谷吉継
16位藤堂高虎
18位高橋紹運
18位本多正信
18位鳥居元忠
18位浅井長政
19位竹中重治(竹中半兵衛)
19位島清興(島左近)
19位森長可
20位後藤又兵衛(後藤基次)
20位柴田勝家
20位北条氏綱
20位真田幸隆
21位山内一豊
21位山本勘助
22位真田幸村(真田信繁)
真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎(源次郎)。真田 幸村(さなだ ゆきむら)の名で広く知られている。 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。
22位直江兼続
22位成田長親
23位毛利輝元
23位斎藤道三
23位桂元澄
23位真田信之
24位黒田長政
25位太原雪斎
25位浅野長政
27位武田信繁
28位大友宗麟
29位佐久間盛政
29位蒲生氏郷
31位蘆名盛氏
32位前田慶次
33位島津義久
33位前田利家
33位豊臣秀長
33位岡部元信
34位大内義隆
35位今川義元
35位支倉常長
36位佐竹義重
政宗に負けた
3万もの奥州連合軍を率いて7000の政宗を破った。
しかし、連合軍ではなくなって伊達と佐竹の戦になるとボロ負けした。
それでも、自分の身を守るために秀吉に降伏する一面もあった。
義重は50点よりは上だとは思うが、そんな凄いわけでもない。
37位徳川秀忠
37位上杉景勝
38位伊達輝宗
39位明智光秀
40位織田信雄
41位陶晴賢
43位宇喜多秀家
44位山名豊国
45位織田信長
家臣がいないと何もできない
信長は丹波・柴田・黒田・九鬼・家康などの有力な家臣・同盟者がいないと、姉川の戦いや志賀の陣・金ヶ崎の戦い・石山合戦で討ち取られていた可能性が高い。
よって、信長は家臣がいないと何もできないことがわかった。
45位豊臣秀吉
全て兵力と家臣のおかげ
秀吉は蜂須賀小六がいなければ墨俣に城を築けなかった。
秀吉は黒田官兵衛がいなければ毛利を味方にできないまま、明智を倒すこともできなかった。しかも、光秀自身を殺したのは落武者狩り。
小田原の陣では茶会を楽しんでいるだけだった。
46位北条氏政
46位蘆名義広
47位朝倉義景
48位松永久秀
48位小西行長
48位松平広忠
49位荒木村重
50位上杉憲政
51位武田勝頼
51位北条氏直
52位石田三成
孤独で最弱
三成は秀吉以外に信頼されなく、孤立していた。
関ヶ原の戦いで西軍でもあんなに家康の誘いに乗るのは他の武将が三成の力を認めていなかった・家臣の扱いが下手・孤立していたなどの理由が考えられる。
三成の長所はなし。
最強
家康は政治面で言っても、智謀面で言っても、最強。
家康ほど政治や作戦がうまい武将はいないだろう。