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【人気投票 1~129位】戦国武将・大名ランキング!最も愛される戦国時代の武将は?

馬場信春今川義元斎藤道三

このお題は投票により総合ランキングが決定

ランクイン数129
投票参加者数3,893
投票数21,389

みんなの投票で「戦国武将・大名の人気ランキング」を決定!戦国時代に活躍した「戦国武将・大名」は、大河ドラマや歴史の教科書などにより、現代の人々にも馴染み深い存在です。楽市楽座を実施して経済を重視したと言われている型破りの戦国武将「織田信長」をはじめ、女性だったという説も存在する不敗の軍神「上杉謙信」、奥州の覇者と言われている隻眼の戦国武将「伊達政宗」などがランクイン?あなたが好きな、戦国時代の武将・大名に投票してください。

最終更新日: 2024/05/05

注目のユーザー

瀧津 孝

専門家作家・日本史激動期研究家

瀧津 孝

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ランキングの順位について

ランキングの順位は、ユーザーの投票によって決まります。「4つのボタン」または「ランキングを作成・編集する」から、投票対象のアイテムに1〜100の点数をつけることで、ランキング結果に影響を与える投票を行うことができます。

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ランキング結果

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41馬場信春

60.9(45人が評価)

隠れたヤバいヤツ

馬場信春は長篠設楽原の戦いで僅か700ほどの兵で6000の佐久間信盛隊を打ち破りました。コレはもう強いとしか言えません。さらに少数の兵で武田勝頼の撤退にも大きく貢献しました。マジでヤバいヤツ。

戦国時代大好き小学生さん

1位(95点)の評価

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不死身の男

武田四名臣であり、武田家筆頭家老。築城の名手。長篠の戦いでの立派な最期。武田家に尽くした生き様が格好良い。

けんさん

1位(100点)の評価

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義の最高で最強の武将

義の武将で本田忠勝以上の無傷の戦そしてあの武田信玄の先生の立場みたいで最期まで武田家に忠誠を尽くし、信長から褒められる

徳川家康が嫌な人さん

1位(100点)の評価

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42今川義元

60.5(81人が評価)
今川義元

今川 義元(いまがわ よしもと)は、戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。姉妹との婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義理の兄弟にあたる。「海道一の弓取り」の異名を持つ東海道の広大な地域の支配者。 寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで領土を拡大させた。戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長軍に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。 (引用元: Wikipedia)

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信長への恨み

天下統一に期待された凄くお強いお方なのだ~!
桶狭間の戦いで信長に殺されたことを知り、信長に恨みがあります。尾張の大うつけ者!!(信長)

𓀗…トボトボさん

1位(100点)の評価

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天下も狙えた武将

東海地方一帯を支配し、政治力もあった大名。ある意味信長を世に出した武将。

毘沙門天の子さん

1位(100点)の評価

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神才

まじ天才天下の候補

ゲストさん

1位(100点)の評価

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43滝川一益

60.2(52人が評価)

織田四天王の一人

織田四天王の一人
明智光秀より年上、綾姫(仙桃院字間違ってたらすみません)より年下にしか言えない。

みーみちゃんさん

8位(50点)の評価

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44最上義光

60.2(48人が評価)

あまりに可愛そすぎる

娘を豊臣秀次に奪われ、さらには豊臣秀次事件で秀吉に娘を殺され、ああ、なんてかわいそうなんだ。豊臣家め、許せない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
徳川方につくのも納得だわ。

srさん

2位(100点)の評価

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可哀想

娘の駒姫を殺されて・・・・・・その14日後には大崎夫人が自害しています。 
可哀想すぎるなあ

戦国時代大好き‼️さん

6位(64点)の評価

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可哀想すぎる‼️

娘の駒姫は秀吉のせいで殺されて可哀想すぎる!!!!!!
徳川方について当たり前だ。豊臣家ひどい!!!!!!!

みーみちゃんさん

5位(65点)の評価

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45斎藤道三

60.2(201人が評価)
斎藤道三

斎藤 道三/利政(さいとう どうさん/としまさ)は、戦国時代の武将。美濃の戦国大名。道三流斎藤氏初代当主。名としては、長井規秀(新九郎)・長井秀龍(新九郎)・斎藤利政(新九郎)・道三などが伝わるが、書状などに現れているのは、藤原(長井)規秀・斎藤利政・道三などのみである。美濃の蝮(マムシ)という綽名でも知られる。 (引用元: Wikipedia)

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戦国大名の代名詞

下克上で国を獲り、まさに戦国大名を体現したような人物です。娘を織田家に嫁がせたのも、先見の目を持ってのことなのではないかと考えさせられます。息子の謀反で命を落とすというその最期もとてもはかないですが、それも下克上。道三らしい最期だと思います。

ゆたかさん

ゆたかさんさん

2位(95点)の評価

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生涯現役

経験で信長を支えた。

828910さん

6位(75点)の評価

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織田の義父

濃姫の父、織田信長の父、信長に国譲りした。信長に国譲りをしなければJR岐阜駅の金の信長も建たなかった。

戦国時代大好き🥰さん

1位(65点)の評価

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46佐竹義重

59.5(68人が評価)

坂東太郎

若年ながら父の夭逝で当主になった義重。
当時でも日本屈指の名家でありながら先進的な技術を積極的に取り入れて勢力の拡大に励みました。

うじぇーぬ・ど・ぼーあるねさん

4位(90点)の評価

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北条軍と渡り合った鬼義重。

北条軍と何度も戦い伊達政宗を恐れさせた猛将。

Tindersex

Tindersexさん

16位(63点)の評価

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47浅井長政

59.5(153人が評価)
浅井長政

浅井 長政(あざいながまさ、旧字体表記:淺井 長政)は、戦国時代の武将。北近江の戦国大名。浅井氏の3代目にして最後の当主。浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、北東部に勢力をもっていた。妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いたが、後に信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害。浅井氏は滅亡した。官位は贈従二位中納言(徳川家光の外祖父にあたるため、死後の寛永9年(1632年)9月15日に贈られた)。 (引用元: Wikipedia)

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有名な娘たちの生みの親

浅井三姉妹を生んだ父親としてとても好きな武将です。仲間思いの誇り高い武将だったと言われていて素敵だなと感じます。大河ドラマの中でも、優しくて良い武将のイメージが強いので個人的には好きな武将となります。

こてつ

こてつさん

2位(85点)の評価

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個人的

個人的に漫画などに書いてる長政は好きです (そういえば何でイケメンに書いてるんだろう) もしうらぎらなかった世界線が見たいです

あまでらさん

1位(100点)の評価

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かっこいい

織田信長に逆らう勇気が凄い。朝倉を選んだところが好感が高い

ねねさん

1位(100点)の評価

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48北条氏政

59.4(96人が評価)
北条氏政

北条 氏政(ほうじょう うじまさ)は、戦国時代の相模国の戦国大名・武将。後北条氏の第4代当主。父は北条氏康、母は今川氏親の娘・瑞渓院。子に北条氏直など。正室の黄梅院は武田信玄の娘で、武田義信や武田勝頼とは義兄弟にあたる。通称は新九郎で、官位の左京大夫または相模守も同様に称した。号は截流斎。(引用元: Wikipedia)

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民に優しい

小田原征伐で敗れて散ったり、上杉に何個も城を取られたり、戦の力としては弱い部類に入る氏政ですが、政治的にはすごいいい大名でした。民衆を大切にして、農業を重視しているあたりが好きです。また戦の能力は低かったですが、時には戦も頑張り上杉には最初は負けましたが、時を経てリベンジして土地を取り返していくというのも好きなところです。

ナハマジャ

ナハマジャさん

2位(85点)の評価

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新着・注目

まだまだ採点・コメントが少ない候補です。ご存知の場合はぜひ採点をお願いします!

49伊達輝宗

59.4(86人が評価)

50井伊直虎

59.3(76人が評価)

井伊 直虎(いい なおとら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての遠江井伊谷の領主。「井伊直虎」という名の人物についての同時代史料は一通の書状しか存在しないが、通説では江戸時代に書かれた井伊氏の家伝、『井伊家伝記』において女性ながら井伊家当主になったと記載された井伊直盛の娘、次郎法師(じろうほうし)と同一人物とされる。その存在については、様々な考察がなされている。(引用元: Wikipedia)

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おんな城主❣

井伊家や井伊谷を守るために女城主になった姫!
あの徳川四天王の一人、井伊直政の養母!
大河ドラマ、『おんな城主直虎』でも有名!

さん

2位(97点)の評価

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女城主カッコいい‼️

徳川四天王・井伊直政の養母
とってもカッコいい‼️

戦国時代大好き‼️さん

1位(100点)の評価

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カッコいい

井伊家を守り立てたすごい人!憧れます。そう言う人になりたいとも思いました。だから友達と戦国武将ごっこを始めました!

いつき(樹希)さん

1位(100点)の評価

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51足利義輝

59.3(58人が評価)
足利義輝

足利 義輝(あしかが よしてる、1536年3月31日〈天文5年3月10日〉- 1565年6月17日〈永禄8年5月19日〉)は、室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:1546年〈天文15年〉- 1565年〈永禄8年〉)。足利宗家第20代当主。 (引用元: Wikipedia)

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じつは、、、、

じつは将軍ながら剣術の達人。
暗殺されたのは入浴中。

これなら負けてもしょうがない気がする、、、、

さん

5位(80点)の評価

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そうだと思う理由

暗殺されたけど悪魔で将軍だからこんくらいかな

ゲストさん

2位(75点)の評価

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52立花道雪

59.2(41人が評価)

53酒井忠次

58.7(76人が評価)
酒井忠次

酒井 忠次(さかい ただつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将。徳川氏の家臣。徳川四天王・徳川十六神将ともに筆頭とされ、家康第一の功臣として称えられている。 (引用元: Wikipedia)

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54鍋島直茂

58.7(51人が評価)
鍋島直茂

鍋島 直茂(なべしま なおしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、実質的には大名。戦国大名・龍造寺隆信の家老。肥前佐賀藩の藩祖。(引用元: Wikipedia)

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龍造寺隆信の懐刀。

滅びかけた龍造寺家をまとめあげた名君。

Tindersex

Tindersexさん

21位(50点)の評価

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55島津豊久

58.4(90人が評価)

島津 豊久(しまづ とよひさ)は、安土桃山時代の武将。島津氏の家臣。島津家久の息子。(引用元: Wikipedia)

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56伊達成実

58.2(59人が評価)

57細川忠興

58.1(37人が評価)

手先が器用‼︎

忠興は、百人一首の札を手作りして、細川ガラシャに贈っています。その札は扇の形をして、金箔が張られていました。
この札は数枚だけ現存しています。

みんみんさん

4位(65点)の評価

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愛妻家だが…

関ヶ原の戦いでは首級を136挙げる活躍をした反面、正室の細川ガラシャを溺愛しすぎて、ちょっとガラシャのことを見た世話役を斬り殺したり、女癖が悪い秀吉に「妻を取るな!」と直接忠告したりしていて、いきすぎた愛妻家だなと思う。

毘沙門天の子さん

11位(90点)の評価

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武!

武勇は結構優れている。

本人よりも妻(細川ガラシャ)が好き。

さん

6位(75点)の評価

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58仁科盛信

58.0(54人が評価)
仁科盛信

仁科 盛信(にしな もりのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。家紋は、割り菱紋と丸に割り菱紋。 末期に織田信長の甲州征伐に際して一族・重臣の逃亡や寝返りが続く中、高遠城において最後まで抵抗し、討死した。 (引用元: Wikipedia)

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簡単に言えば幸村の先駆

武田の凋落期で唯一といっていいほど徹底的に織田に抗った武将。幸村も好きだけどこっちも負けないぐらい果敢なイメージ。強いて言うならこっちは幸村以上に負け試合だったかな…

マイナーなのが残念。

ちとせ

ちとせさん

3位(90点)の評価

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すごい

すごいけど結構マイナー
幸村と同じことをしている

ひろみさん

2位(85点)の評価

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59高橋紹運

58.0(156人が評価)
高橋紹運

高橋 紹運(たかはし じょううん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後大友氏の家臣。吉弘鑑理の子で、立花宗茂の実父にあたる。 紹運は法名であり、初めは吉弘 鎮理(よしひろ しげまさ / しげただ)、のちに大友宗麟の命令で筑後高橋氏の名跡を継ぎ、高橋 鎮種(たかはし しげたね)と称した。 (引用元: Wikipedia)

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忠義一筋の玉砕戦で主家を助ける

君主に対する絶対的な忠義が家臣の心得とされるようになったのは、儒教が浸透した江戸時代以降のことです。戦国時代、忠義は確かに武士として重要な徳目ではありましたが、頼りにならない主君、正当に評価してくれない主君と見れば、家臣は躊躇なく主従の関係を断ち切り、他家に仕えるのが常でした。

そんな中で、衰亡する主家を見捨てず、抜群の〝忠義の士〟として歴史に名を刻んだのが紹運です。戦国最強とも評される勇将・立花宗茂の実父であり、豊後(大分県)に君臨する大友家の有力な重臣として各地を転戦しました。
一時は九州の大部分を制覇した大友家も、薩摩・大隅([続きを読む]

瀧津 孝

作家・日本史激動期研究家

瀧津 孝さん

2位(85点)の評価

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まさに忠義の鏡と言われるラストサムライ

子の立花宗茂の方が有名かもしれません。立花宗茂も非常に魅力的な武将でありますが私は高橋紹運を推します。大友家の重臣としての役割を全うし、最後はわずか700名の兵で2万を超える島津の大群に挑んで壮絶な死を迎えます。

最後まで降伏することなく玉粋するわけですが、島津軍はこの戦いで3000もの兵を失い大きなダメージを受けます。また島津軍の中にも彼の死を惜しむものは多く、自らの信じる道を突き進み、そして散っていった武将です。戦国武将の中には後の武士道とは真逆の人物も多い中、まさしくラストサムライにふさわしい人物であると考えます。

また婚約[続きを読む]

金谷 俊一郎

歴史コメンテーター

金谷 俊一郎さん

3位(70点)の評価

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宗茂の父

降伏せずに最後まで岩屋城で戦った忠義の人

ゲスト5さん

2位(95点)の評価

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60鳥居元忠

57.7(88人が評価)
鳥居元忠

鳥居 元忠(とりい もとただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣。下総矢作藩(千葉県香取市矢作)の藩祖。(引用元: Wikipedia)

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家康を若年期から支えた真の武士

関ヶ原の時、上方を任された時、「一人でも多く連れて行きなされ」と家康に話した時のエピソードは感動した!
そして、とうとう4万の西軍が伏見城に攻めてきた時は1800人足らずの城兵で13日間も耐えていたのが凄い!

毘沙門天の子さん

8位(93点)の評価

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三河武士の鑑

3日で落城すると言われた伏見城での戦いにおいて、13日間耐えたその姿、男の中の男だと後世に語り継がれています。

けんさん

1位(100点)の評価

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いい奴すぎる!!!!!!!

命を捨ててでも家康のために全力で戦ったその姿、素晴らしい!!!!!!!!

srさん

3位(100点)の評価

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61

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