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【投票結果 1位~163位】戦国武将・大名最強ランキング!最も強い武将は?

前田利家山県昌景小早川隆景藤堂高虎山本勘助

このお題は投票により総合ランキングが決定

ランクイン数163
投票参加者数6,609
投票数32,172

みんなの投票で「戦国武将・大名最強ランキング」を決定!無敗を誇った武闘派の戦国武将や、危機的状況を策で乗り越えた頭脳派の戦国大名など、戦国時代には日本史を代表する強者たちが綺羅星のごとく存在します。第六天魔王と呼ばれ恐れられた「織田信長」を筆頭に、勇猛果敢な越後の龍「上杉謙信」や、織田信長ですら戦いを避けた「武田信玄」、戦国屈指の策略家「毛利元就」など、数多くの戦国武将&大名が誕生しました。あなたが戦国最強だと考える武将や大名に投票してください。

最終更新日: 2025/04/03

注目のユーザー

ランキングの順位について

ランキングの順位は、ユーザーの投票によって決まります。「4つのボタン」または「ランキングを作成・編集する」から、投票対象のアイテムに1〜100の点数をつけることで、ランキング結果に影響を与える投票を行うことができます。

順位の決まり方・不正投票について

ランキング結果

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21前田利家

64.7(558人が評価)
前田利家

前田 利家(まえだ としいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。俗に加賀百万石の祖とも称されるが、前田家が百万石を超えるのは利長・利常ら利家の息子たちの世代からである。(引用元: Wikipedia)

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前線で活躍する武将

戦国時代の初期から活躍している武将で信長の側近だった武将です。一時期、信長から家臣をクビにされたけど敵将の首を土産にして許してもらったと言う逸話もあり槍の又左という異名がつけられるほどで数々の戦いで武功をあげ個人の武勇がかなり目立っている人物だと思います。

owarin

owarinさん

2位(90点)の評価

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政治面で大きな権限を持つ武将

賤ヶ岳の戦いでは前田が抜けると柴田軍がとても不利になったことから前田が柴田の要だったということがわかる。
政治面でも大きな権限を持ち、五大老の一人。

ゲスト2さん

24位(63点)の評価

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豊臣の重臣

利家は柴田勝家の勝敗を左右するほど強い武将で、五大老として政治を行うこともできました。彼は優秀で、一回織田信長から家臣の中から追い出されましたが、流浪の身になることなく、今川軍の首を持ってきてまた家臣になったというエピソードもあります。

ゲスト9さん

8位(77点)の評価

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22山県昌景

64.7(555人が評価)
山県昌景

山県 昌景(やまがた まさかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本の武将。甲斐武田氏の家臣で、譜代家老衆。後代には武田四天王の一人に数えられる。 (引用元: Wikipedia)

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武田一の猛将

昌景は長篠の戦いで勝頼軍を長篠に安全のため攻めこまないいように説得したが、勝頼が聞かないので戦になった。どう考えても負けるのは当然のことであった。
でも、仕方なく死を覚悟して必死の突撃をしたことがいいと思います。

ゲストさん

12位(83点)の評価

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猛将

あの武田信玄に仕え、しかも最後は長篠の戦いで死を覚悟して突撃し、戦死するという勇敢さや、強さ、かっこよさなどが凄く好きです。しかも三方ヶ原の戦いでは、徳川家康を、あと一歩まで追い詰めるというエピソードが残っていることが凄く好きです。

城マニア

城マニアさん

2位(95点)の評価

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誇らしい信玄の猛将

豪傑がたくさんいる信玄の家臣の中で最強で、長篠の戦いで必死に突撃を繰り返し勇敢に戦った。赤備えを引き継いだ武将としても有名。

ゲスト 1さん

13位(88点)の評価

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23小早川隆景

64.3(189人が評価)
小早川隆景

小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。竹原小早川家第14代当主。後に沼田小早川家も継ぐ。 (引用元: Wikipedia)

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毛利を正しい道へ導き出した智将

毛利の軍師みたいな感じでとても頭が良く、秀吉に対抗しようとする元春を止めたり、厳島の戦いで毛利元就を勝利に導くなどの活躍をした。
隆景は穏やかな人柄で多くの人々から愛されていたようだ。
また、黒田官兵衛とお互いに認め合ったそうで、黒田のいう通り、隆景は賢く、毛利隆元・輝元を乱世の中で正しい道へと導きだした人だと思います。

ゲスト9さん

5位(92点)の評価

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毛利の軍師

毛利の軍師みたいな感じでとても頭が良く、秀吉に対抗しようとする元春を止めたり、厳島の戦いで毛利元就を勝利に導くなどの活躍をした。
隆景は穏やかな人柄で多くの人々から愛されていたようだ。
黒田官兵衛とお互いに認め合ったそうだ。

ゲスト 1さん

15位(87点)の評価

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毛利の両川

隆景は毛利の軍師と言いたいぐらいの頭脳的な力を持っている。
毛利の身を守るため、すぐに秀吉に降伏して反発する吉川元春を止めるなど、頭脳的な活躍をした。
厳島の戦いでは陶軍に圧勝した。
隆景は元春と並ぶほど強い毛利の家臣。

ゲスト1さん

12位(84点)の評価

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24藤堂高虎

64.3(164人が評価)
藤堂高虎

藤堂 高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。 何度も主君を変えた戦国武将として知られる。築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などを築城し黒田孝高、加藤清正とともに名人として知られる。高虎の築城は、石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴があり、石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。 (引用元: Wikipedia)

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武士大名

藤堂 高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる。津藩藤堂家(藤堂家宗家)初代。

藤堂高虎は、黒田孝高、加藤清正と並ぶ数多くの築城の縄張りを担当し、層塔式天守を考案。高石垣の技術をはじめ、石垣上には多聞櫓を巡らす築城の巧みさは、その第一人者といっても過言ではない。また外様大名でありながら徳川家康の側近として幕閣にも匹敵する実力を持つ、異能の武将であったといえる[5]。

最強さん

1位(100点)の評価

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信頼された城造りの名人

高虎は城造りの名人な上に、主君の家康に「高虎が裏切ろうとしている」と言っても、家康は信じなかったというエピソードがあり、それほど信頼されています。

ゲスト家康さん

5位(88点)の評価

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戦国武将の勝ち組

何回も主君をかえて、結局家康に仕えたけど、外様大名だし、信頼されにくいけど、大坂夏の陣の戦いぶりで、家康の信頼を勝ち取った!城作るのもすごいし。

YUPONの剣力さん

16位(85点)の評価

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25山本勘助

64.2(82人が評価)
山本勘助

山本 勘助(やまもと かんすけ)は、戦国時代の武将。 『甲陽軍鑑』においては名を勘助、諱を晴幸、出家後道鬼を称したという。勘助の諱・出家号については文書上からは確認されていなかったが、近年、沼津山本家文書「御証文之覚」「道鬼ヨリ某迄四代相続仕候覚」により、江戸時代段階で山本菅助子孫が諱を「晴幸」、出家号を「道鬼」と認識していたことは確認された。ただし「晴幸」の諱については、明治25年(1892年)に星野恒が「武田晴信(信玄)が家臣に対し室町将軍足利義晴の偏諱である「晴」字を与えることは社会通念上ありえなかった」とも指摘している。 (引用元: Wikipedia)

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忠義の将。だけど…

信玄の軍師として活躍した。
作戦を見破られたのは残念だけど
責任を持って信玄を命をかけて守ったのはえらい!
守れなかったけど

長宗我部家筆頭家老さん

2位(80点)の評価

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天才軍師

武力的にはそこまででもないが、天才軍師。

ゲスト1さん

21位(73点)の評価

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できることはこなしている

片足・片腕はないけれど、頭脳を働かせ、できることをきっちりこなしていて、信玄に才能を認められた。

ゲスト家康さん

6位(80点)の評価

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26真田信之

64.1(55人が評価)

関ヶ原で

親や弟と違い、関ヶ原の戦いで東軍側につき、家を守った。また、戦後は父と弟の命を救った。真田信繁の大坂の陣での活躍は、この人がいないとなかった。

ゲストさん

4位(82点)の評価

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27直江兼続

63.7(119人が評価)
直江兼続

直江 兼続(なおえ かねつぐ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。米沢藩(主君 上杉景勝)の家老。兜は「錆地塗六十二間筋兜」 立物は「愛字に端雲の立物」。直江兼続(樋口与六)はお船の方を最後まで愛し側室を迎えず正室だけを妻に迎えた。 (引用元: Wikipedia)

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景勝の側近

兼続は上杉景勝の家臣の中では最強。
あと、家康へ送った直江状は家康がものすごい挑発するほど名のある凄い武将だということがわかる。

ゲストさん

25位(69点)の評価

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学問にも武芸にも優れた武将

学問や武芸にも優れていて、上杉景勝の家臣の中でTPの座に着くような人。
景勝は政治も慶長出羽合戦も兼続に任せたり、家康に送りつけた直江状について新たなボスができたかのように怒ったりしたことも含めて兼続は強いと思います。

ゲスト9さん

6位(83点)の評価

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優れた武将

武力にも学問にも優れた上杉景勝の側近

ゲスト1さん

22位(72点)の評価

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28島清興(島左近)

63.7(213人が評価)
島清興(島左近)

島 清興(嶋 清興、しま きよおき)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。筒井氏、石田三成の家臣。通称は左近で、一般には島 左近(しま さこん)の名で広く知られる。実名は勝猛(かつたけ)などの俗称が広まってはいるが、自筆文書においても「清興」の花押を使用しており、正確には清興であると考えられる。(引用元: Wikipedia)

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三成の右腕

右近・左近に選ばれた

伊達巻さん

10位(87点)の評価

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三成になくてはならない存在

「三成に過ぎたるもの。それは佐和山の城に島左近」。。。島左近の絶大な評価が伺える。

YUPONの剣力さん

5位(100点)の評価

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新着・注目

まだまだ採点・コメントが少ない候補です。ご存知の場合はぜひ採点をお願いします!

29柴田勝家

63.5(170人が評価)
柴田勝家

柴田 勝家(しばた かついえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。 (引用元: Wikipedia)

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鬼柴田

信長の家臣の中でこれ以上恐れられているものはいない。
信長の最強の家臣というわけではないが、鬼柴田やかかれ柴田などの異名がある。

ゲスト1さん

20位(74点)の評価

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信長に信頼された

信長の配下では丹波・黒田・竹中の次に強い
賤ヶ岳の戦いでは大軍の秀吉に負けた。

ゲストさん

24位(70点)の評価

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鬼柴田

織田信長の家臣団の中で最強というわけではないが凄い武将。鬼柴田

ゲスト1さん

25位(72点)の評価

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30斎藤道三

63.1(96人が評価)
斎藤道三

斎藤 道三/利政(さいとう どうさん/としまさ)は、戦国時代の武将。美濃の戦国大名。道三流斎藤氏初代当主。名としては、長井規秀(新九郎)・長井秀龍(新九郎)・斎藤利政(新九郎)・道三などが伝わるが、書状などに現れているのは、藤原(長井)規秀・斎藤利政・道三などのみである。美濃の蝮(マムシ)という綽名でも知られる。 (引用元: Wikipedia)

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謀略の神

いやすごすぎます。長井長弘とかお世話になった方々容赦なく毒殺してますよね。土岐頼純とか、色々。多分土岐頼充も彼が暗殺したんだと思います。でも、よく考え方これこの時代にはすごく合理的なんですよね。戦とかで政敵を滅ぼそうとすれば、大きな犠牲を払うことになる。そういうことをせずに単純に自分の力を広げる方法の一つが、毒殺なんですよ。楽市楽座も彼が原型じゃないですかねー。信長の先輩みたいな人なんですよ。すごいです。ただ、息子の器量は何故か見抜けなかったんですよね。道三も年ですかね。だからこの点数です。

イリエーヌちゃんさん

2位(90点)の評価

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マムシ、さすが!!

なんか本当に美濃を守り抜いたマムシですね。
どんな武将に負けても、美濃を守る気持ちは変わらない…かっけぇ!
あと、マムシの娘、帰蝶は織田信長のお嫁さんになったらしいですね.

戦国時代オタクさん

1位(95点)の評価

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裏切りすぎ

美濃のマムシ本人
信長に初めて会った時から能力を察知したり、遺言には、信長に美濃を譲ると言ったりしていた長良川の戦いで勝ったら武田家や本願寺と六角家など攻めていたであろう。

さん

1位(100点)の評価

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31島津義久

63.0(239人が評価)

最強!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

九州平定で島津軍2〜3万に対し、豊臣軍約20万で戦い、島津は降伏した。
だが、豊臣秀吉がたかが2〜3万の軍勢に20万もよういたのは島津にまともに戦ったら負けると思ったからだ。つまり秀吉が20万模様いたのは島津が強かったから。

 何度も言おう島津強い。最強。かずでまけたが、マトマに戦えば最強だし仲間との絆も深い。つまり最強。

島津氏に仕えたいさん

1位(100点)の評価

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統率力

恐ろしい統率力で、九州一の勢力、統率力を持っていました。さすがに秀吉のえげつない大軍には負けました(当たり前です)。しかし、秀吉と同等の兵力なら、切れることのない絆で義久が圧勝していたでしょう(秀吉が兵力少なかったら弱すぎるとも言える)。

歴史マニア(中2)さん

2位(99点)の評価

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軍略家

釣り野伏、すごいですね。これ大体の武将に通用すると思うんですよ。これをバンバン使って、あともう少し畿内に近かったら良かったですね。まあ、それでも信長がいるから天下取りは難しいでしょうけど・・・。

イリエーヌちゃんさん

10位(65点)の評価

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32豊臣秀長

62.7(128人が評価)
豊臣秀長

豊臣 秀長(とよとみ ひでなが / とよとみ の ひでなが) または羽柴 秀長(はしば ひでなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。 (引用元: Wikipedia)

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信頼された

秀吉の補佐役として重要な合戦には全て参加し、信頼された。
秀長が1589年以前に死んだら秀吉はギリギリ天下は取れなくて、落ちこんでいただろう。

ゲスト 1さん

31位(75点)の評価

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信頼された

秀吉の四国・九州平定で活躍して秀吉だけでなく周りの武将からも信頼された。
秀長が死んだ悲しみは秀吉は一生抱えていたかもしれない。

ゲスト1さん

30位(66点)の評価

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豊臣No.2

豊臣内務大臣

伊達巻さん

9位(89点)の評価

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33北条早雲

62.6(463人が評価)
北条早雲

北条 早雲(ほうじょう そううん)こと伊勢 宗瑞(いせ そうずい)は、室町時代中後期(戦国時代初期)の武将で、戦国大名となった後北条氏の祖・初代である。早雲の代の時はまだ伊勢姓であった。早雲は戦国大名の嚆矢であり、その活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。 (引用元: Wikipedia)

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最初にして最強の戦国大名

北条早雲は謀略の天才だと言えると思います。茶々丸討伐の際には、敵の兵士に好条件を出して、謀反を起こさせ、茶々丸が孤立したところで圧勝。小田原城奪取の際には、扇谷上杉氏の混乱を見逃さずに、うまく利用しようと画策したのです。まず、大森氏の治める小田原城を奪取するため、大森藤頼に進物を贈り、親しく歓談するように持って行きます。当然、藤頼には早雲を疑う余地はありません。そのため、早雲の「鹿狩り中に鹿が小田原城の裏に行ったので一旦領地に入れさせてほしい」という早雲の話も疑うことはしませんでした。しかし、これは小田原城を奪うための早雲の策略でした[続きを読む]

歴史マニア(中2)さん

1位(100点)の評価

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戦国時代は北条早雲の下剋上から始まったと言われています

戦国時代に相模国(さがみのくに:現在の神奈川県)を統一した人物。小田原城の城主で、鎌倉幕府の執権・北条氏とは全く関係はありません。鎌倉時代に活躍した北条氏と分けるため、「後北条氏」や「小田原北条氏」と呼ばれます。なかでも北条早雲は、「戦国時代は北条早雲の下剋上から始まった」と言われるほどの戦国武将です。一介の浪人から戦国大名へと成り上がったと描かれることも多い

エンドウ

エンドウさん

3位(98点)の評価

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最初の戦国大名

伊豆を実力で奪ったことら最初の戦国大名と呼ばれた早雲。
小田原城を奪った時にやった牛の角に松明をつけて放って敵に大軍をいると思わせる作戦はすごかった!

ゲストさん

12位(85点)の評価

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34榊原康政

62.6(62人が評価)

徳川四天王

姉川の戦いでは浅井軍に横から奇襲攻撃をかけて信長を救い、
長久手の戦いでは羽柴秀次の別働隊を破った。
徳川四天王として戦でさまざまな活躍を見せている。

ゲスト1さん

16位(87点)の評価

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徳川四天王の一員

姉川の戦いの時に家康・信長を救った徳川四天王。
徳川四天王として他にも家康の合戦で勝利に貢献している

ゲストさん

12位(85点)の評価

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徳川四天王

康政は姉川の戦いで信長を救い、長久手の戦では羽柴秀次隊を破るなどの活躍をした。

ゲスト1さん

11位(85点)の評価

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35服部半蔵

62.6(39人が評価)

伊賀忍者

伊賀越えの時に少人数で家康を救い、落ち武者狩りに会わなかった。
半蔵は情報収集の役として活躍した。

ゲスト 1さん

20位(84点)の評価

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伊賀忍者

伊賀忍者の頭で、伊賀越えの時は家康を助けた。その後も家康の情報収集係として活躍した。

ゲスト1さん

23位(83点)の評価

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いい忍者

家康最大のピンチの伊賀越えで家康を助けた忍者です

最強メガロドンさん

2位(95点)の評価

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36酒井忠次

62.5(56人が評価)
酒井忠次

酒井 忠次(さかい ただつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将。徳川氏の家臣。徳川四天王・徳川十六神将ともに筆頭とされ、家康第一の功臣として称えられている。 (引用元: Wikipedia)

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徳川四天王

長篠の戦いで少人数部隊を率いて砦を攻め込むなどの数々の手柄を立てた忠次。
関ヶ原の時に生きていれば6時間もせずに西軍に勝てたかもしれない。

ゲスト1さん

15位(85点)の評価

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徳川四天王のリーダー

酒井忠次は、徳川家を守った人物である。家康の大ピンチ、三河一向一揆で一揆軍を押さえつけていったすごい人。また、一向一揆の後、家臣たちをまとめるリーダー性からも高い評価ができます。この人がいなかったら徳川家の未来はなかった。

歴史マニア(中2)さん

5位(95点)の評価

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徳川四天王の1人

酒井忠次は長篠の戦いの時は少人数で武田軍の砦を攻め落として家康の勝利を決定させた。
他の合戦でも、勇敢に戦った。

ゲストさん

13位(84点)の評価

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37片倉景綱

62.1(50人が評価)
片倉景綱

片倉 景綱(かたくら かげつな)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達家の家臣。伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉氏の初代で、景綱の通称小十郎(こじゅうろう)は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。兜は、神符八日月前立筋兜。 (引用元: Wikipedia)

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独眼竜政宗の右目

政宗の小姓に抜擢された時から、失明した政宗の右目のような活躍をしている。例えば、「人取橋の戦い」では政宗の兜をかぶり身代わりとなったり、政宗が小田原に遅刻した際も景綱により秀吉に許されるなど(ちなみにこの時、伊達成実は徹底抗戦を主張したとか)政宗のピンチには、必ず景綱が救っている

転生したら藤堂高虎だった件さん

3位(86点)の評価

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智を持って伊達政宗を支えた

伊達政宗が危機に陥った時に片倉小十郎の知恵で乗り越えられている。

ゲストさん

1位(95点)の評価

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38島津家久

61.9(284人が評価)

島津 家久(しまづ いえひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。島津貴久の四男。母は本田丹波守親康の女。(引用元: Wikipedia)

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島津の中で2番目に最強

家久は貴久についで戦上手で、貴久・義弘・義久と協力すれば 1日だけでも九州統一ができた可能性があると思う。

ゲスト1さん

14位(82点)の評価

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すんごい

龍造寺隆信と戦ったときはすごかった。島津氏戦術で言ったら戦国最強なのでは?

島津氏に仕えたいさん

1位(100点)の評価

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確かに

超つよいから

ゲーム[さん

1位(100点)の評価

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39蒲生氏郷

61.7(129人が評価)
蒲生氏郷

蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。 蒲生賢秀の三男(嫡男)。初名は賦秀(やすひで)または教秀(のりひで)。キリシタン大名であり、洗礼名はレオン(またはレオ)。子に蒲生秀行。 (引用元: Wikipedia)

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人情に篤く規律に厳しい律儀な将軍

蒲生の風呂焚きは、有名です。部下に満足に恩賞が出せなかった時、屋敷に呼び、風呂を馳走した。焚いているのは主君の氏郷。
また、規律に厳しく、抜け駆けして功を成した有能な部下に暇を出している。軍は規律あってのものを生涯実践したから軍の統制力は天下一でしょう。だから東北の独眼竜のお目付として会津に入り、一揆を扇動する正宗を封じこめ、一揆扇動の証拠まで掴んで秀吉に報告する律義者。
早死にしなければ、家康の天下は無かったと思う。

太っちょさん

1位(95点)の評価

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天下人に認められた武将

人質ながら、織田信長に認められ娘の冬姫
と結婚するほど強かった。
さらに、東北の武将(伊達、上杉など)を抑えるために会津に置かれて信頼されていた。会津若松の地名にしたのも氏郷。

城好きさん

1位(95点)の評価

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最強

六角氏家臣の息子で、織田と戦わないのと引き換えに囚人にされたけど織田の獅子奮迅など、観察力を見せ、しゅせしました。

4年さん

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40黒田長政

61.4(119人が評価)

猛将としての道を歩む武将

黒田長政は物事を考える前に行動してしまうところがあり、猛将としての道は歩めますが軍師としては厳しい。
でも、九州平定の時に敵を誘き寄せて一気に攻撃をする時は活躍しており、強いと思います。それに、秀吉に、無謀な勝てない戦に連れて行かれた時にも、蔚山城の加藤清正を救うという活躍を見せました。

ゲスト9さん

7位(82点)の評価

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猛将としての道を歩む武将

黒田長政は物事を考える前に行動してしまうところがあり、猛将としての道は歩めますが軍師としては厳しい。
でも、九州平定の時に敵を誘き寄せて一気に攻撃をする時は活躍しており、強いと思います。それに、秀吉に、無謀な勝てない戦に連れて行かれた時にも、蔚山城の加藤清正を救うという活躍を見せました

ゲスト9さん

7位(82点)の評価

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人柄が良い

関ヶ原の戦いにて、清州城にいた先鋒隊が家康の出陣を待ちかねて起こっているとき、長政が怒れる先鋒隊に丁寧に声をかけ、現場の空気を変えた!

YUPONの剣力さん

19位(85点)の評価

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41

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