【人気投票 1~140位】戦国武将・大名ランキング!最も愛される戦国時代の武将は?





このお題は投票により総合ランキングが決定
みんなの投票で「戦国武将・大名の人気ランキング」を決定!戦国時代に活躍した「戦国武将・大名」は、大河ドラマや歴史の教科書などにより、現代の人々にも馴染み深い存在です。楽市楽座を実施して経済を重視したと言われている型破りの戦国武将「織田信長」をはじめ、女性だったという説も存在する不敗の軍神「上杉謙信」、奥州の覇者と言われている隻眼の戦国武将「伊達政宗」などがランクイン?あなたが好きな、戦国時代の武将・大名に投票してください。
最終更新日: 2025/04/12
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ランキングの順位について
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ランキング結果
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1位から見る21位北条早雲
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22位山県昌景
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23位加藤清正
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猛将っぷりがハンパないから
王道じゃない人を選びたかったのもありますが、単純に好きだからです。あの秀吉が面倒見て育てたという、期待の星、加藤清正。朝鮮での虎退治の逸話は有名ですよね。虎を手で倒すなんて只者じゃない所業をやってのける猛将っぷりに惚れました。その上城作りまで一流と文句なしです。
報告地元の有名武将
私の地元である、熊本県を代表する武将です。熊本城を建築したことでも知られています。熊本に移る前は、石田三成、福島正則らと共に、豊臣秀吉子飼の将として活躍しており、戦国時代全体を見ても有名です。そんな武将が自分の地元の武将であることを、誇りに思います。
報告24位蒲生氏郷
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鬼柴田👹GO‼️🚗💨
柴田勝家は信長の弟、信行に仕えてすごく活躍した武将です❣️
私、実は小学生🎒だから少し大人に比べたら内容薄いかもだけど、3年生で毎日投稿頑張ってるんで応援よろしくお願いします🙏🥰⋆⸜🌷⸝⋆
(ただの自己紹介で草www🤣)
豊臣秀吉に負けてしまった😱
鬼柴田だって負けることはあります。負ける1年前、お市の方と結婚💒しています。柴田勝家はお市の方と一緒に自害しています。柴田勝家、天下一の美人と戦のとき以外一緒にいて、いいなあ。
報告26位明智光秀
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今なお議論を呼ぶ武将
明智光秀といえば、本能寺の変の首謀者として知られています。果たして本人の意思だったのか、それとも誰かにそそのかされたのか、今でも様々な議論を呼んでいます。彼の気持ちを、様々なゲーム作品、映画、漫画などを通して、想像するのはとても楽しく、魅力に溢れた武将だと思います。
報告いろいろ言われても歴史を変えた武将
本能寺の変で織田信長を破りその後、歴史上では3日で亡くなったとされているのであまりよく書かれないことが多い明智光秀ですが誰も何もできなかった織田信長政権を変えたのは間違いなく明智光秀であり歴史を変えたことはどんな方法でもすごい事であり歴史に残る武将で何故か憎めずに好きです。
報告裏切り者でもあるが芸達者な武将
明智光秀は謀反を働いた裏切り者ではありますが、京都で嗜んだ和歌や茶道に関しては腕がかなりあったとのことで好きな武将です。教養もあった武将なので、謀反もよほどのことがあったのだと思っています。この武将を考えると、歴史のロマンが広がるので好きです。
報告27位前田利家
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槍の又左
とってもかっこいい😎と思う。
あと12人のパパ👨だったこともすごい👏👏👏👏👏
豊臣秀吉の五大老
私は小学生だからコメント📝とか間違いかもしれないけど、毎日頑張っているので「いいね👍」よろしくお願いします🙇♀️
百万石
信長、秀吉に仕え、豊臣政権では五大老の一人。加賀を大国にする基礎を作った武将。信玄同様、家臣や民を大切に扱う優しさに惹かれます。多くの武将達からの信頼が厚く、秀吉亡き後、家康が豊臣家に手を出せなかったのも、利家の力が大きかったからです。
報告28位藤堂高虎
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使いこなせる主君がなかなか現れなかったほど有能な武将
一介の足軽から30万石の大大名にまでのし上がった人物です。7回も主君を変えたということで、戦前は「忠義を尽くさない人物」ということで低評価を受けていました。そのため現在でもあまり高い評価を受けていませんが、実際に藤堂高虎の生き様を見ているとそれは誤解であるということがわかります。
むしろ藤堂高虎が忠義を尽くさないわけではなく、藤堂高虎の実力を掌握ししっか
りと取り立てることをしなかったから7回も主君を変える事になってしまったと私は考えます。
徳川家康は大坂の陣の後、「国に大事がある時は高虎を一番手とせよ」と評価しているところからもそ[続きを読む]
七回(本当かはわからないが)も主君を変えた武将‼︎と餅屋の話
浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→津田信澄→豊臣秀長→秀保→秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光(引用:Wikipedia)
これは11人・・・・・・・・
この話は置いといて藤堂高虎といったら餅屋ですね・・・・・・・・
無名の若き時代にお腹ペコペコで、その時に目に入ったのが一軒の餅屋でした。それから出世払いとして餅をペロリと食べました。それからのちにこの店へ時々に立ち寄ったというわけです。
長文すみません。
天才すぎる🎓武将🏹
藤堂高虎は、何度も主君を変えた武将で有名だけど、それは使いこなせる人がいなかったと言うことを表しているのかと思います😊
また、餅屋の話って詳しく教えてくれる人いますか❓
あまりよく知らないので教えてください😭💦💦💦💦💦💦💦💦
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29位島清興(島左近)
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31位北条氏綱
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後北条氏の創始者
彼の父である伊勢宗瑞は伊豆討ち入り、小田原城奪取など武威を示しあまりにも偉大な存在だった。しかし、氏綱は山内・扇ヶ谷両上杉や武田、里見や古河公方などの反撃を尽く跳ね除けてその領域を南武蔵や東駿河、下総の一部などに拡大する活躍を見せた。また、朝廷への働きかけによって、伊勢家をかの執権北条氏として生まれ変わらせた。彼は戦場での采配と領国内の政、他勢力との外交、いずれにおいても非凡な才覚を兼ね備えた、父宗瑞にも負けず劣らずの名将だろう。
報告早雲の後継者、氏康の父
数多くの戦で勝利し早雲が残した領土をさらに広げた。そして、朝廷に献金し
従五位下左京大夫と北条性を手に入れ後北条氏の基盤を固くした。あまり目立たないがとてもすごい人物。
32位徳川家康
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忍耐の人
織田、今川の人質として幼少期を過ごし、信長、秀吉というライバルの陰で耐え忍んで、最後に天下を取った武将。200年以上の長きに渡る江戸幕府の礎を作った名将。苦しい経験を積んだ分、言葉に重みがあります。「堪忍は無事長久の礎、怒りは敵と思え。」 今の時代にも通じる言葉です。
報告鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥
家康は本当に苦労して我慢してその結果。戦国の世を見事に泰平の世の中に変えた雄だと思います。世の中には家康は臆病で面白みがないという人がいますが、この人がいなければずっと戦国の世が続き荒れ果てた日本になり、今の日本はなかったかもしれません。そういう意味で家康というのは素晴らしい戦国武将だと思います。
報告安泰築いた最強漢
まさに江戸時代まで続いた徳川幕府が物語るように、日本に最強と平安を築いた人物。織田、豊臣を見ながら良いところ悪いところを学び、それを生かして成し遂げた天才。まさに戦国の世で頭脳を駆使、また人を上手く使った人物。現代社会においても社長になる人物だったのであろう。
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34位石田三成
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関ケ原の敗者
もし、関ケ原の戦いで西軍が勝っていれば、石田三成は英雄になっていたのではないでしょうか。人望がなかったと言われますが、勢力差はそれほど大きくなく、無敵の島津勢を含めてまとまりがあれば、徳川時代はなかったかもしれません。もう一息の所だった石田三成も大好きな戦国武将です。
報告大一大万大吉
「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」この言葉通りの人。頭脳明晰、天才。ただあまりにも天才ゆえに「なぜこんな事が分からないのか」と思い他の人がアホウに見える。物事が見えすぎるのだ。それが人望のなさに繋がって恨みをかう。
報告豊臣家の策士
豊臣秀吉の子飼いの武将で、秀吉の信頼もある。
人望がないというが、佐和山の村人たちや家臣からは人望はあったよう、
関ヶ原で負けたあと、柿は体に悪いと最後まで諦めなかった。
大谷吉継のお茶を飲みほしたり仲間思いで、豊臣天下を最後まで諦めなかった。加藤清正や福島正則からは嫌われていたようだが、タイプがあわなかっただけだと思っている。戦下手、人望が足りず、関ヶ原で負けたかもしれないが、豊臣天下が続いていれば活躍できたかもしれない
35位小早川隆景
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元就の3男、秀吉に寵愛
こちらも毛利のプレーン。兄弟と一緒に毛利を支えていったがやっぱり穏健なところが好き。隆景がいなければ元就亡き毛利家は恐らくだが暴走を繰り返して有名にはなっていなかったと思う。
報告賢人の一人
毛利の軍師と言ったらこの人というイメージがあります
隆景が死んでから官兵衛はこれで日の本の賢人はいなくなったと嘆いたと言われているようですから、相当頭が良かったというのがわかります。実は愛妻家という逸話があって、知ったときは驚きました。
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37位豊臣秀長
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松姫(信松尼)のことを想っていた
武田信玄の四女、松姫との手紙✉️のやりとりを続けていたんだけど、1582年本能寺の変でたぶん信長のことを助けなくてはいけないと思ったのか、松姫のことを心の奥にしまって戦って、最期、力尽きて二条御所で自刃した。で結局、松姫は出家して信松尼と名乗って生涯独身でした。
報告松姫のことを恋い慕っていた
松姫と文通でやりとりしていました。
同盟が解消された後も、信忠は正室を持たずに、側室しか持っていませんでした。けれど、本能寺の変が起き、信忠は亡くなってしまいます。
松姫は出家して、信松尼と名乗ります。彼女は生涯独身でした。
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41位
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農民に対する「善政」で領土拡張
一位は「情義」、二位は「忠義」の点で突出し、戦場で〝無双〟の活躍をした〝動〟の勇士たちでしたが、三位には反対に〝静〟とは言わないまでも、乱世で自分の欲より民衆の生活を優先させる「善政」によって成功した希有な武将を選びました。
北条早雲は、地頭身分から下克上で国主に成り上がった戦国大名の先駆けであり、足利将軍家の一族である伊豆・堀越公方を滅ぼした梟雄とも評されていますが、彼が簒奪し、拡張した領国での最重要課題は、百姓の生活を安定させることでした。
応仁の乱以来全国に波及した戦乱の長期化は、戦によって農地が荒らされるだけでなく、軍役で働き盛りの農夫が徴収される→収益が減る→領主は年貢率を上げる→過度な負担に耐えかねて百姓が逃亡する→またまた収益が落ちる→年貢率がさらに上がる、という負のサイクルに陥っており、これに伴って治水事業の遅れなども招き、耕地がさらに荒れていきます。
当時の年貢率は、「五公五民(税率五割)」や「六公四民(税率六割)」、厳しい領主の元では「八公二民(税率八割)」というケースも珍しくありません。早雲が流れてきた東国でも状況は同じです。駿河国(静岡県東部)・今川家の家臣となって東端の興国寺城を任された彼の東隣・伊豆国(静岡県伊豆半島)では、堀越公方が圧政を敷き、領民は大いに苦しんでいました。
早雲は「民こそ国の根本」と信じる改革者であり、伊豆に侵攻して領内の年貢率を「四公六民(税率四割)」という異例の低さに抑えます。百姓たちは大喜びし、噂はたちまち国外にも広まって、重税に喘ぐ他国の百姓たちが早雲による統治を臨むようになりました。
伊豆の東、相模国(神奈川県の大部分)でも、地侍や百姓の圧倒的支持を得て国盗りに成功しますが、そもそも戦争が日常茶飯事の状況で、どこの大名も軍備のために巨額の予算を確保しなければなりません。
しかし、年貢を低くすれば、その分収益は減る訳で、早雲は自身だけでなく家中にも贅沢を禁じ、徹底した節約生活を求めるのでした。
彼の死後、子孫は着実に領土を増やし、ついに関東を制圧しますが、領内全域に四公六民の年貢率が適用されました。後に北条氏が滅び、関東が徳川氏の直轄領となってからも、農民の信頼を繋ぎ止め、反抗を防ぐために年貢率が上げられることはなく、全国的にも珍しい低税率地域として幕末に至ります。早雲の目指した〝民のための領国経営〟は、時代を超えて生き続けたのだと言えるでしょう。[続きを読む]
作家・日本史激動期研究家
瀧津 孝さん
3位(70点)の評価
戦上手の民思い
自分の治めためた国で当時では異常と言ってもいいほど軽い四公六民という税をしき、民に慕われた。今川館の戦いや、伊豆討ち入り、
相模侵攻戦など多くの戦でその才能を発揮している。
相模の獅子さん
1位(100点)の評価