ドラゴンクエストV 天空の花嫁の詳細情報
| ジャンル | RPG |
|---|---|
| 対応機種 | SFC、PS2、DS |
| プレイ人数 | 1人 |
| 対象年齢 | CERO:A(全年齢対象) |
| 発売日 | 1992年9月27日 |
| メーカー | エニックス |
| 公式サイト | https://www.jp.square-enix.com/game/detail/dq5/ |
| 参考価格 | 10,800円(税込) |
ドラゴンクエストV 天空の花嫁がランクインしているランキング
全 143 件中 21 〜 40 件を表示
やる大河ドラマ
親子3代に渡る旅の物語で主人公への感情移入や没入感が半端ないです。そしてあちこちに散りばめられた伏線の数々。あまりに秀逸な張り方で「そうだったのか!」と分かったときの鳥肌と感動は涙ものです。
また、倒したモンスターが確率で仲間になるという要素も戦闘を飽きさせない工夫になっていてレベリングが苦痛ではないです。
嫁論争がありますが、嫁の選択はぶっちゃけ壮大な物語の通過点にしか過ぎず、それよりもストーリーとシステムの出来の良さが評価されての人気だと思っています。
とぐろ100%さんの評価
【 幻惑 】課題の分離。
堀井雄二という稀代のインフルエンサーが、天空から舞い降りて三次元に建造した『 マヌーサ 』工場。
SNSによって「仲間意識の確認作業」が正当化される「いいね機能」のような革新性を示した傑作である。
よく「ドラクエには、成熟した大人にしかわからない深みがある」と言った常套句を目にする。
だが、これは事実ではない。
率直に言い換えてしまえば、まるでボジョレー・ヌーヴォーを高級ワインであるかのように祭り上げる、自称ソムリエにも等しい選民意識の表れである。
そして「ボジョレー解禁!!」などと騒ぎ立てて、周囲に同化しようとするお祭り騒ぎがまさに、ドラクエ界隈特有の聖域の様子 (ドラクエの良さがわからない奴は非国民だ) を的確に比喩してしまっている。
上述したSNSにおける仲間意識の確認作業を、残酷なまでに裏付けてしまっているのだ。
何より、主人公にしかスポットライトを当てることができない視野の狭さが示唆されている。
周りを暗闇で覆ってしまっているからだ。
そして、その暗闇に覆われてしまった外の世界にこそ、広さではなく「密度」が重要である。
だが本作は、その外の世界が全く息をしていない。
物語は常に主人公周りで終始している。
そのため、多くのNPCが単なる記号と化している。
世界観が重要なRPGというジャンルにおいて、国家間の外交も、軍事的な戦略も、経済的な背景さえもほとんど描かれていないのは、もはや致命的である。
それを「ドラクエの魅力はそこじゃない」などと免罪符にしたり、または「余白を敢えて残してある」などと美徳にしてしまうのは、思考の放棄でしかない。
それは余白ではなく、単なる「空白」だからだ。
これが許されるのなら、ドラゴンズドグマやファイナルファンタジーXVだって許されていいはず。
ドラクエだけ許されるのなら、それはただの甘えであろう。
更に切り込むと、その余白や行間の妙とやらは、カラオケマックのドリンク飲み放題と同程度の要素でしかない。
好きなだけおかわり (脳内補完) はできるが、その質はたかが知れている。
つまり、放置された妥協にすぎないということだ。
これを、エルデンリングやファイナルファンタジーXと比較してみれば、尚更それが顕著になる。
(エルデンリングやFFXの解体書も書いている。
気が向いたら読むといい)
これらは、完成されたフルコースの料理、あるいは真の高級ワインである「シャトー・ムートン・ロートシルト」だからこそ、プレイヤーを能動的に誘導できる「設計された余白」として機能している。
人間とは完成された芸術を、更に追求しようとする性質がある。
このような探究心、あるいは感情を、作り込まれた土台の上で合理的に突いているからである。
一方で、本作の脳内補完とやらにはその美学がない。
臭いものには蓋をし、仕方なくその分をさも一級品であるかのように、都合良く補っているだけである。
読み上げるためだけのテキストを提示され、それを情緒といった都合の良い言葉を盾に「感動しました」などと並べ立てる。
そこには果たして、主体性の伴った体験の密度が備わっていたのだろうか?
真に心を揺さぶる物語とは、ゲームそのものの構造とシナリオによる情緒が合致した体験を経て、初めて得られるものではなかろうか。
確かに本作のレベル上げ (苦行) にも、その疲れを情緒的なシナリオで癒すというゲーム体験に基づいてはいるが、これって言い換えれば煙草と同じだからね?
イライラをニコチンで誤魔化す行為と同じである。
あるいは対価を得るには、自分軸を失ってでも苦労を伴うべきといった、昭和時代の古い価値観が未だに根付いているとさえ思えてしまう。
レベル上げ (職場) → 疲れたよ (残業お疲れさん) → ご褒美の情緒 (缶ビール) → 明日があるさ (やる気アップのマヌーサ) → 満員電車 (現実) → レベル上げ (ふりだしに戻る) といった、この不毛な作業を繰り返すだけの虚無には、上述した構造と情緒による高度な融合性など見られない。
ゲームにまで社畜プレイを求めるバイタリティには感心するけどね。
そもそも、それが本当に心の底から突き上げてきた感情であるのなら「感動しました」といった安易な言葉など、まず出てこないはずでは?
これはまあ、本作に限った話ではないがね。
ちょこまかと動くキャラクターやテキストだけを見て感動したというのなら、それこそ映画やアニメでも観ていた方がマシであろう。
そこに自身の人生を投影して、脳内補完する行為は決して間違いではないが、ゲーム本来のシナリオとしての深みとは全く関係ない。
それをいいことに「FFはオタク向け、中二病」「フロムゲーのシナリオは薄っぺらい」などと、浅はかな批判をする者をよく見かけるが、それは単なるコンプレックスの裏返しである。
例えばスーパーマリオブラザーズには、情緒による誤魔化しなどほとんどない。
体験の密度 (構造の完成度) だけで全世界を制している。
これこそが、優れたゲームの本質である。
本作を、同じく90年代を席巻した『 ファイナルファンタジーVI 』と比較した場合でも、その作り込みのレベルの違いが、絶望的なまでに浮き彫りとされてしまうであろう。
NPCの作り込みから設定に至るまで、同じスーパーファミコンの作品とは思えないほどの雲泥の差がある。
一方で本作は、光の教団が猛威を振るっているにも関わらず、世界全体の危機感を全く感じられない。
これらの作り込みの放棄に対しても、脳内補完で埋めるというのは、さすがに無理がある。
それでも敢えて、本作の設計された余白を挙げるなら、8年後の廃墟と化したサンタローズの村を目にした時、人それぞれ感じ方、捉え方が変わることくらいだろう。
しかし、これはFFVIの崩壊後の世界で、滅びたモブリズの村や炭鉱都市ナルシェに立ち寄った時も、同じことが言える。
ドラクエだけの専売特許ではなく、大作なら割と当たり前の手法だ。
FFVIの方は、時代別の突出度を考慮するとあのエルデンリングやウィッチャー3をも上回る、圧倒的な完成度を示していた。
世界に名を轟かすこれらの作品は、どれも体験の密度が異様に高いという絶対的な共通点がある。
したがって「英語に翻訳されると堀井節の魅力が伝わらないから」は、海外で売れない理由の言い訳にはならない。
だが、唯一評価すべき密度があるとするなら、仲間モンスターシステムであろう。
本来ならただの敵でしかなかったモンスターに対し、確率という名の運命を介して「個」としての意味を与えるこのシステムは、後のポケモンすら先取りした極めて革新的なアイデアである。
彼らが自分の意志を持つ仲間へと昇華される瞬間、そこには確かにプレイヤーの想像力に委ねられる物語への肉付けという点においての、余白を生み出すことが可能だった。
だが、皮肉なのは、このシステムがもたらす自由度や多様性が、結局は親子三代の物語という強固なレールの影に隠れてしまったこと。
最高級のお野菜 (システム) を用意しながら、凡庸なレシピ (シナリオ) で炒めてしまったわけだ。
早く炒めすぎた (先取りした) のが仇となって、見るも無惨なまっくろくろすけなお野菜になってしまったというね。
その宝の持ち腐れ感が勿体ない。
以上のことから、本作の全体的な特徴を、浅瀬が延々と広がる「極彩色の海面」であると定義する。
それは裏を返せば、掘る場所がないほどの完成度の高さとも言えるが、そこにはマリアナ海溝のような深みがない。
そこに残っているのは、情緒のバリエーション (極彩色) を目にして、それを深みだと勘違いしているSNS社会の風潮そのものである。
それらの要素と後述の言及点を統合し、最終的に58点をつけさせて頂いた。
さて、本作の最も印象に残るイベントと言えば、やはり「結婚式」であろう。
どこぞの知らないおじさんに、幼馴染みのビアンカとの結婚まで主導権を握られ、挙げ句の果てには二つのリングを命がけで取ってこいと言われる、とても斬新なイベントである。
あの、元祖西遊記スーパーモンキー大冒険もビックリの理不尽さに笑ってしまったりもするが、まあここはバグとして片付けてしまってもいいだろう。
そんな「ドッキリでしたー!!」のような展開にも目を瞑って進めるとしたら、例えば私なら「ビアンカが可哀想!彼女を選ばないなんて人としておかしい!フローラなんて必要ない!」などといった感情論には便乗しない。
そのような不毛な派閥や選民意識こそが、上述した『 マヌーサ 』工場の量産型において他ならないからだ。
そもそも、フローラ派のプレイヤーに対して、非常に失礼な行為である。
重要なのは、本作の少ないリソースを駆使して、どれだけ「自分だけの物語」を生み出せるかだ。
ビアンカには「過去」を見て、フローラには「未来」を見る。
その上で、どちらを選択するかを己の思考や人生観に委ねる。
そうして得た決断は、正真正銘の『 自分軸 』となる。
それこそが、真のRPGではないだろうか?
「ビアンカが可哀想だから彼女を選んだ」
これは本当に愛なのか?
もしそれを理由に彼女を選ぶのなら、それは愛ではなく、自分を満たしたいだけのエゴにすぎない。
ビアンカ本人に対しても失礼である。
可哀想などと言っている時点で、彼女を自分と対等な一人の女性としてではなく、保護されるべき迷える子羊に格下げしているからだ。
本作を、もうひとつの人生として本当に大事にしているのなら、例えゲームであろうとケジメをつけるべきだと思う。
だが、これまで散々述べたように、本作にはそれらを彩るリソースが総合的に足りなさすぎた。
国家を放置して息子を危険な旅に連れ出すパパスの無責任さを正当化したりなど、聖域の方々はドラクエを甘やかしすぎじゃないかね。
自分 (ドラクエ) に甘く、他人 (他のゲーム) には厳しい。
これ、ただの子供騙しだからね。
まるで、耐震設計が放棄された外観だけ美しい館のようである。
ただ、堀井雄二氏は尊敬している。
彼は、前述でも比較対象として挙げたファイナルファンタジーXを「FFの究極の完成形である」と定義づけた。
それは即ち、同じ多くのクリエイターでさえもFFXの一本道を批判する中で、唯一ゲームとしてのその構造と仕掛けの妙が、人々の感情を激しく揺さぶる情緒に対して、見事に連動している点を見抜いていたからこその裏付けである。
彼は過去にも「FFは触れる映画」と評している。
皆が「FFは映画みたいだ。こんなのゲームじゃない」と酷評している中、たった一言でFFの構造的本質を見抜いていた。
クリエイターとして、そして人としての視野の広さとその圧倒的な審美眼に敬意を抱いているのだ。
しかし、本作ではその才能が生かされていないと私は感じてしまった。
その原因は、やはり「美しい白鳥」が、いつまでも「醜いアヒルの子」を求める世論によって、がんじがらめにされているという点だ。
まるで進化を拒む村社会、あるいは上京して垢抜けた仲間に対して裏切りと断じているような、強烈な地元意識が根付いているようだ。
皮肉にもその真の才能が、呪縛から解き放たれて製作されたクロノ・トリガーに顕著に表れていた。
クロノ・トリガーは、世界中で愛されている作品である。
ようするにこれは、本来の堀井雄二氏にはワールドワイドで活躍できる実力が備わっている、という証明となっているのだ。
現在では、スクウェアとエニックスは合併してから共に歩み続けている。
ドラゴンクエストXIIの開発を終えたら、是非ともファイナルファンタジーの復活のために、開発に携わってほしいものである。
その可能性も決して0ではないので、期待して待ちたい。
彼はまさに、日本で最も愛 (哀) されたクリエイターである。
再び、世界で羽ばたける日が来ることを願うばかりだ。
さてと、パパスの最愛の妻『 マヌーサ 』にでも会いに行くか。
モンスターが強すぎる
僕がやった時は、モンスターは最初は弱くて、使ってなかったけれど、
どんどん人間を越していって、ミルドラースはゴレムス、ピエール、ベホズン、ロビンであっさり倒しました。仲間の数が多くて、強い特技もあって、シリーズ初の裏ダンジョンがあって、充実して楽しいです。
ああたすさんの評価
今やってる
ビアンカ選びました。
今ちょうど妖精の村(青年後半)らへん。
はっきり言うよ?
めちゃくちゃ面白い。
俺はⅣがあっさりと終わっちゃったから(Ⅳもオモロかったけど)、何かこう“グッと”来るモノを期待してⅤをプレイした。
組み込まれすぎた繊細でかつ美しい伏線に感動、個性あるモンスターを仲間にできる喜び、最重要イベント“結婚”。
どれも一日じゃ語りきれないほどの面白さ。一眼で魅了されてしまった。
長すぎるとちょっとアレなんで、要約して言います。
…やってみろ、飛ぶぞ
はぐれ10050さんの評価
映画化までされた傑作
ストーリー、音楽が最高傑作レベルなのはいうまでもない。ゲームとしての面白さも、のちにポケモンブームを産むことにもなった、敵モンスターが確率で仲間にすることができるという、当時では革新的な仲間システムの投入。このゲーム性でずっと売っていればRPG界の覇権を握っていたであろう歴史的な金字塔作品である。
ニックさんの評価
自由なドラクエ
初めに僕はドラクエファンです、ff派DQ派と派閥がバチバチですがドラクエは全タイトルプレイ済みでffは14にドはまりした程度のRPGを語るにはだいぶ片寄った思考ですw
5以前のドラクエと言えば人が魔物を倒す。という王道ファンタジーのような展開で話が進行しまた。(もちろん、それがドラクエらしくJRPGの礎を築いたのですが、、)
今作は魔物も仲間にでき、某人気育成ゲームのような自分だけのパーティを組み合わせてストーリーが展開するといった当時ポケットなモンスターにドはまり中の少年だった僕の心に刺さった作品です。
また、レベルだけの「成長」ではなく、主人公が実際に子供時代から大人まで成長していく過程で挫折や苦悩、結婚、出産を経験し子供ながらに人生を教えられたストーリーには当時のスーファミでそこまで感情移入出来たことに流石の一言です。もちろん、伏線も至るところにありゲームとしてのハラハラ、ドキドキ、驚き、感動等色々な感情でプレイできました。
-1の減点は仲間モンスターに必須とも言えるとあるスライム系モンスターがいるんですが彼がパーティにいるかいないかで難易度が変わるレベルで必須なため自由度を狭めてしまったのが僕個人的には残念でした。
未プレイ者が逆に羨ましい!そんな初見プレイの感動をもう一度味わいたい名作と呼ぶにふさわしい作品だと思います。
ザキさんの評価
親から子へ
父の旅の目的、それを引き継ぎ、家族を持ち自分も父となる。
壮絶なストーリーがズルい程、面白い作品。
初めてDQシリーズをやり、クリアした想いれ深い作品。
後、何と言っても結婚イベント!分岐するのも当時からしたら、凄かった。自分は、ビアンカ派で「2周目は絶対フローラいくっ!」と決意しても結局、ビアンカを選んでしまう。リメイクでは花嫁が1人増えたので、めっきりデボラ派になってしまいましたw
何十年たってもプレイヤーを悩ませるいい作品です。
ノアさんの評価
ゲームの世界に入り込んだゲーム
家族の尊さが分かります。大好きなゲームです。子供の頃に初めてやった時はフローラを選びました。可愛くてお金持ちでビアンカよりこっちのがいいって思いましたが、結婚した後にちょこっと後悔した記憶があります。ビアンカの一言が忘れられなくて、もちろんフローラと一緒で幸せだけど、これでよかったのかな...なんて思いながらラスボスを倒しましたが、ゲームが終わっても少しモヤモヤしてました。大人になって、いろいろ学んでから同じこのゲームをプレイしたら、当時の自分とは違う感情でプレイできました。一瞬フローラで揺らぐんですけど、ビアンカしかいないとビアンカを選びました。
ゲーム一つで、子供の頃と今の自分の考え方が変わったんだなって実感できて、ゲームの枠を超えた大作だと思いました。
秀星はドラクエ派です。さんの評価
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時を超えても不朽の“超名作”
1992年発売、32年の月日が経っているドラゴンクエスト5(2024年現在)ストーリーは親子3代を細かい視点で描いたもの。
主人公が勇者ではないという驚きや、モンスターを仲間に物語を進めるという過去作とは少し異型と言えるこのドラクエ5ですが
発売から30年を超えた今に至っても
終わりの見えない人気を誇っています。
この作品のこの評価の理由は、
「度重なる苦難をこの物語の主人公が、数々の出来事や出会いによって乗り越えていく」
そういった見事なストーリー構成に感銘を受けたためです。
長くなりましたが是非でも一度プレイして懐かしさや当時の人々が得ていた楽しみを味わってみて下さい。
ドラゴンクエスト一家さんの評価